2006年4月18日 (火)

日韓問題の基本図式③

3、日本の改革

日本は朝鮮の独力での改革は不可能だと判断した

【日本の影響】  

(#`Д´) もういいモナ!おまいらじゃもう無理モナ!

日韓併合!!

<#`Д´> チックショーーーー!!!

【日本の改革】

( ´∀`) みんな近代化するモナ!!

戸籍作り 農業改革 植林 貨幣改革 株式会社の導入 漁業令 鉱山の開発 発電所の建設、工場の建設 身分制度の廃止 道路整備 鉄道建設 シャーマン治療の廃止、未成年のキーセン(売買春)禁止・・・etc

収入→倍増!!

人口→倍増!!

食糧生産→倍増!!

民衆→<ヽ´∀`><ヽ´∀`><ヽ´∀`> ワーーイワーーイワーーイ!!

守旧派→<#`Д´> チックショーーーー!!!

【独立運動】

両班→<ヽ`∀´> あんなクソチョッパリなんかに支配されてたまるかニダ!独立政府を勝手に作るニダ!!

<lll´Д`> でも資金がないニダ!

<ヽ`∀´> そんなもん農民脅せばいくらでも出すニダ!!

独立派&旧両班→<ヽ`Д´> おらぁ!!愛国心があるなら金出すニダ!!

民衆→<lll´Д`> やー!!殺さないでーーーー!!!!!金出すからーーーーーーーー!!!!!!!

(#`Д´)/ 民衆いじめちゃダメモナ!!

∥Ф|´|Д|`|Ф∥ もう反省したニダ!出してほしいニダ!!

<ヽ`Д´> 国内は日本の監視が厳しいから無理ニダ。上海に大韓民国臨時政府建てるニダ!

4、戦後

日本が戦争で負けると、独立派テロリストが韓国の政権を握った

【戦後独立】

<ヽ`∀´> くっくっくっ・・・農民の被害は自分たちがやったことも含めて全部日本のせいにするニダ!!日本は悪逆非道の最悪の統治をしてたことにするニダ!!そうすれば自分たちの政府の正当性が担保されるニダ!!

反日デモ!!!

<#`Д´>/<#`Д´>/<#`Д´>/ 日本人は謝罪と賠償汁!!!!

嫌韓!!

(lll´Д`)(´ハ`lll) なにあいつら~~~

2006年4月16日 (日)

日韓問題の基本図式②

2、開国

日本は国交を求めて朝鮮に使節を出した

【開国・国内の腐敗】

( ´∀`)/[] 日本は政府が新しくなったモナ。開国してほしいモナ。

<ヽ`Д´> ダメニダ!この文書には「天皇」と書いてあるニダ!「皇」というのは清の皇帝のことニダ!ウリナラは清の属国だからダメニダ!

(lll´∀`) そんなこと言われても天皇は天皇モナ。

( ´Д`)(´ハ` ) う~~~ん、困りましたね~~~。

↓・・・とその時

日本の軍艦被爆!!

"<lll´Д`>゛ 誤解ニダ。単なる誤砲ニダ。

( ´∀`) OKモナ。そのかわり国交結んでほしいモナ。

日朝修好条規締結

その後朝鮮は日本の援助によって近代化を促進しようとした。

が、しかし・・・

守旧派の反対で頓挫。そして果て無き政治的抗争・・・↓

http://yoshre.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_1e3f.html#comments

既に朝鮮は、国家の体をなしていなかった。

2006年4月15日 (土)

日韓問題の基本図式①

1、はじめに

朝鮮民族の支配階層は両班という特権階級だった。

【横暴】

<ヽ`Д´> テメーのその目つき気にいらねえんだよ!

<lll´Д`> す・・・すいません!

拷問!!

【搾取】

<#`Д´> なんだゴルア!!これっぽっちかよ!!!

<lll´Д`> も・・・申し訳ありません。今年は不作だったもので・・・

<#`Д´> 言い訳なんか聞きたくねえんだよ!!!食いもんだったらほらここにたくさんあるじゃねえかよ!!

<lll´Д`> ああ・・・それを取られたら私は何を食べれば良いのか・・・?

<#`Д´> ああん?そんなこと知るかよ!!ゴチャゴチャいってるとまた拷問すっぞ!!!

【外交】

<ヽ`∀´> 白人なんて辺境の野蛮人ニダ!!儒教徒じゃないやつは徹底的に殺すニダ!!

辛酉教獄=宣教師処刑300余名!!

己亥教獄=フランス人宣教師など200余名処刑!!

丙午教獄=キリスト教徒20余名処刑!!

丙寅邪獄=フランス人宣教師9名、カソリック教徒数千名処刑!!

1865年からのカソリック教徒弾圧政策=総数約8000名処刑!!

´@ゝ@) チョウセンジンザンコクデーーース!!今スグ処刑ヤメルデーース!!(←抗議の軍艦)

<#`Д´>/ 黙るニダ!!

砲撃!!

【働かない】

<ヽ`Д´>y- おら!火ーつけろよ!!

<lll´Д`> は・・・はい!!

両班は労働を恥と考えていた。タバコの火すら自分でつけることを嫌った。両班の全てが特権的な身分と言うわけではなかった(李朝末期には両班の数は全人口の少なくとも半分を超えていたと言われている)が、一部の両班にとって李氏朝鮮の政治体制はまさにこの世の楽園だった。

最近のトラックバック

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31