青山里
<ヽ`∀´> 3・1独立運動後、ウリナラは上海に「大韓民国臨時政府」を作ったニダ。朝鮮内部では日本の監視が強かったから、国外で抵抗運動を続けたニダ!
1920年代に入って満州と沿海州には数多くの独立軍部隊が活動していだ。彼らは日本軍警と戦闘を展開するとともに、軍資金募金、密偵の処断、親日派の粛清などの活動を行なった。このなかで最も輝かしい成果をあげたのは洪範図が率いる大韓独立軍が勝ち取った鳳梧洞戦闘と、金佐鎮が率いる北路軍政署軍などが勝ち取った青山里大捷であった。
大韓独立軍は崔振東の軍務都督府軍、安武の国民会独立軍と連合して、鳳梧洞を奇襲してきた日本軍1個大隊兵力を包囲、攻撃して大勝利を収めた。これが鳳梧洞戦闘であった(1920年)。
日本軍は独立軍に思いがけない惨敗を喫したので、韓半島に駐屯していた部隊と関東地方に駐屯中だった部隊およびシベリアに出兵中だった部隊を動員して3方面から独立軍を包囲、攻撃してきた。
ために北路軍政署軍、大韓独立軍、国民会独立軍などの独立軍の違合部隊は日本軍大部隊を迎え6日間、十数回の戦闘で日本軍を大破する輝かしい戦果をあげた(注5)。これが青山里大捷であった(1920年)。
大きな打撃を受けた日帝は、独立軍の抗戦を自分たちの植民統治に対する脅威であると判断し、この機会に満州にある韓国独立運動の根拠地を掃討しようとした。そうして日帝は、独立軍はもちろん満州に住んでいる韓国人を無差別に虐殺し、村を焦土化させた間島惨変(庚申惨変)を起こした(注6)。
(注5) 青山里大捷の戦果は資料ごとに異なっていて正確に明らかにできない。大韓民国臨時政府の発表は日本軍死亡1254人、朴殷植の『韓国独立運動之血史』では約2000人、この戦闘に参戦した李範奭の『陣中露営火』には死傷者を3300人であると記録している。
(注6) 間島地方で日本軍に虐殺された韓国人は琿春県で242人、延吉県で1124人、和龍県で572人、汪県で347人、寧安県で17人、このほかの県で804人にもなった。
( -_-) これもしょせん自作自演ですね。朝鮮人を殺したのは朝鮮人です。↓
http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/jpn1_rok0-5.html
(-□-□ 「日本軍を大破」というのもウソです。実際は日本軍の戦死=11 負傷=24です。↓
http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/aoyamasato.html
http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/koreatext7.html
( `w´) そもそも話しの展開がおかしすぎ。なんで大破された日本軍がそのまま敵の本拠地に入っていって住民もろとも焦土にすることができるのかわからない。そんだけ強いんだったら楽勝で住民を守れるだろ、どう考えても。
<ヽ`Д´> 違うニダ!日本の数字は捏造ニダ!軍隊は自分のところの被害はなるべく小さく発表するものニダ!
(-□-□ しかし日本側の資料は一応公的なものです。もし死者数を偽れば、日本国民に直接影響が出ます。韓国側の資料のように、単なる口コミよりもはるかに当てになることは間違いありません。
↓当時の大韓民国臨時政府
( ´@v@`) 間島での大虐殺については、その動機がよくわからないね。日本側は住民を守ることに正当性があるわけだから、虐殺すればデメリットばかりでなんのメリットもない。それに比べて当時の大韓民国臨時政府ってのはこんなありさまだから、武器を買う資金もない。住民を脅したり、略奪したりすれば資金が手に入る。つまり彼らはほとんどテロリストと同じような存在だったわけだ。

最近のコメント