2006年4月 7日 (金)

経済的救国運動

<ヽ`∀´> 日清日露両戦争を通じて、日帝の略奪行為はどんどんエスカレートしたニダ。でもウリナラは力及ばないながらも戦ったニダ!

防穀令の施行は日本商人の農村市場の浸透と過剰な穀物搬出を防ぐために下された処置だった。朝鮮で防穀令は凶年になれば地方官の職権で実施することができた。

開港以後、穀物の日本流出が増えると穀物価格の暴騰現象が現れ、そこに凶年が重なって、威鏡道、黄海道などの地方官は防穀令を下した。

しかし、これに対して日本側が言いがかりをつけることによって防穀令は外交問題に拡大した。日本側は、防穀令を実施する1ヵ月前に朝鮮側が日本側に通告しなければならないという朝日通商章程の規定を口実に朝鮮側を強圧し、結局防穀令を撤回するようにした。

さらに、日本商人は防穀令によって損害を被ったとして巨額の賠償金を要求し、結局朝鮮政府は日本に賠償金を支払うことになった。

( ^▽^) 日本の「言いがかり」ってなに?

( ・-・) 朝鮮の朝日通商章程違反(実施する1ヶ月前に通告しなかった)。

( ´,_ゝ`) ププッ…。「自分は法律というルールの通用しない野蛮人です」って言ってるようなもんだね。

日帝の惜款捉供による経済的隷属化政策に抵抗して国債報償運動が起こった。日帝は統監府を設置し、彼らの植民地施設を整えるために施設改善などの名目を掲げてわが政府に日本から巨額の惜款を導人させたが、1907年まで導人させた惜款総額は大韓帝国の1年の予算とほぼ同じ1300万ウォンに達した。

そこで、国民の力で国債を返済し、国権を守ろうとする国債報償運動が大邸からはじめられ全国に広まった。国債報償期成会を中心に各種愛国啓蒙団体と言論機関が募金運動に参加した。募金のために禁煙運動が展開され・婦女子はかんざしと指輪まで出して呼応した。しかし、日帝統監府の悪賢い弾圧でこの挙族的な経済的救国運動は挫折させられてしまった。

↑妄想

↓現実

http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/kimura-archives.html

<ヽ^v^> お金ないから貸して~~~。

( ´∀`)  近代化のために役立つのであればどんどん貸すモナ。

<lll`Д´> ヤバイにだ!金借りすぎたニダ!こんなの返せるわけないニダ!国が乗っ取られるニダ!

<ヽ`x´>/<ヽ`x´>/<ヽ`x´>/ みんなでお金を出し合って返すニダ!

( ´∀`) 不良債権にならないように頑張るモナ。

( `w´) なんか頑張ってる割には支払い滞ってるのはなんで?

(lll´Д`) それが…自分の懐に入れてるやつがいっぱいいるらしくて…。

( `-´) よし、調べろ!

<lll`Д´> ヤバイにだ!捕まる前に逃げるニダ!→解散

【参考】

http://ameblo.jp/dreamtale/

http://nihonjustice.hp.infoseek.co.jp/23.htm

http://members.tripod.com/textbook_korea/7_3.html#7_3_1

2006年4月 6日 (木)

農民の困窮

<ヽ`∀´> 壬午軍乱の後甲申事変が起きて、その後東学党の乱が起きるまでの農村の状況ニダ。

開港以来、朝鮮をめぐって展開された列強の政治的、経済的、軍事的侵略競争は、甲申政変後にいっそう加熱された。清国と日本の問の侵略的対立はますます激化しただけでなく、ロシアとイギリスまでも朝鮮問題で衝突するようになった。このような状況にもかかわらず、朝鮮の支配層は外勢の侵略に適切な対応策を立てることができないまま、妥協と屈服をくり返し、当面の問題に対する解決能力を見せられなかった。

さらに、国家財政は開港以後の国際的紛争による賠償金支払いと、近代文物の受容に必要な経費支出などでいっそう窮乏し、支配層の農民に対する圧制と収奪も厳しくなった。

一方、朝鮮の農村経済は日本の経済的浸透によって疲弊していった。開港以後、朝鮮に最も早く侵略の手をのばした日本の勢力は、政治的な面では壬午軍乱と甲申政変を通じて清国に押され大きく弱まったが、経済的な面ではむしろ清国より強かった。

( ´∀`) 市場が開放されれば経済的な競争が起こるのは当然モナ。

( `w´) てゆーか朝鮮の農村は最初っから疲弊してたけどな。

日本人商人は最初は清国の商人たちと同様に、主にイギリスの綿製品を安く買って高く売る仲介貿易をしていたが、次第に自国製品に代えて莫大な利益を得た。当時、日本に対する朝鮮の輸出品は米穀が30%以上を占めていたが、日本政府の政治的庇護を受けた日本人商人は朝鮮農民の貧しい状況を利用して、立稲先売や高利貸の方法で穀物を買い入れて暴利を貧った

<;`Д´>〟 日帝は朝鮮の農民を食い物にしてたニダ!

(-□-□ これでも悪いのは全部日本ですか?↓

【金利】

朝鮮人→朝鮮人 月5分~6分

日本人→朝鮮人 月2分~4分

(-□-□ 高い金利よりも低い金利の方が借り手が多いのは当然です。当然今まで高利貸をしていた朝鮮人は割りを食っただろうとは思いますが…。

【参考】

http://8004.teacup.com/fv2ttjmt/bbs

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7751/zainiti_raireki.htm

http://members.tripod.com/textbook_korea/7_2.html#7_2_1

2006年4月 5日 (水)

壬午軍乱

<lll´Д`> 日本に開国した後、ウリナラは欧米列強の全ての国とも不平等条約を結んだニダ。

<;´Д`> 自らの遅れを謙虚に認識したウリナラは、進んだ日本の文物を取り入れ、懸命に頑張ったニダ!

【衛正斥邪運動の展開】

開化政策と外勢の侵略に対する反発は、最初に儒生層によって衛正斥邪運動の形で現れた。衛正斥邪は、正学と正道を守り、邪学と異端を排斥するという意味である。性理学を正統思想と信奉していた朝鮮社会で、衛正とは正学である性理学を守護することであり、斥邪とは性理学以外のすべての宗教と思想を排撃することであった。

朝鮮後期になって天主教が伝えられると、異質な西欧宗教、西欧文化は排斥の主要対象になった。初期の衛正斥邪運動は李恒老、奇正鎮などによって主導され、とくに李恒老の門人である柳麟錫、崔益鉉などによって継承された。

斥邪運動は、1860年代には酉洋の通商要求に対応して西洋との交易に反対する通商反対運動として展開され、つづいて西洋の武力侵略に対抗して斥和主戦論として現れ、大院君の通商修交拒否を強力に支援した。

そして儒生たちは1870年代の門戸開放と前後して、倭洋一体論、開港不可論を主張して開港反対運動を展閉し、1880咋代には政府の開化政策推進と『朝鮮策略』の流布に反発して嶺南万人疏など開化反対運動を展開した。

さらに、斥邪運動は1890年代以後には日本の侵略に抵抗する抗日義兵運動に継承された

衛正斥邪論者が外国との交易および開化政策に反対した主要な理由は、西洋の工業生産品とわが国の農業生産品を交易すると経済的破滅を招くことと、いったん門戸を開放すると日本をはじめとする列強の絶え間ない侵略を防ぐことができなくなることであった。彼らは政治的、経済的な面から強力な反侵略・反外勢の意志を持っていた。

しかし、これら儒生層の衛正斥邪運動は反外勢的自主運動としてだけ提示されたのではない。これよりはむしろ朝鮮王朝の専制主義的政治体制、地主中心の封建的経済体制、両班中心の差別的社会体制、そして性理学的唯一思想体制を維持させようとすることに目的をおいていた。それで衛正斥邪運動は当時の政府の開化政策推進に障害となり、それだけ歴史の発展を妨げる逆機能も持っていた。

( ´∀`) つまり衛正斥邪=反近代化、衛正斥邪=抗日義兵運動、抗日義兵運動=反近代化モナ!

( ´・v・`) そしてもう一つ特徴をあげるとするならば、当時の衛正斥邪運動は政教分離の考え方がなかったんです。だから西洋文物=キリスト教=反儒教という構図になり、ついでにその西洋文物を大幅に取り入れた日本も反儒教、反朝鮮王朝ということになったんです。ここが江戸時代からキリスト教を禁止しつつも蘭学を認めていた日本との大きな違いです。

【壬午軍乱の勃発】

開化政策と外勢の侵略に対する反発は、儒生層だけでなく、旧式軍人によっても起こされた。壬午軍乱は閔氏政権が新式軍隊である別技軍を優待して旧式軍隊を差別待遇したことに対する不満から爆発した(1882年)。

旧式軍人は大院君に援助を求め、政府高官の家を襲撃して破壊する一方、日本人教官を殺し日本公使館を襲撃した。それだけでなく、民衆が加勢するなかで閔氏政権の高官をも殺害した。壬午軍乱は大院君の再執権で鎮定されたように見えたが、これによって朝鮮をめぐる清日両国間の対立を招来した。すなわち、日本は朝鮮内の居留民保護を理由に軍隊派遣の動きを見せ、ために清はすばやく軍隊を朝鮮に派遣して、大院君を軍乱の責任者として清に護送していくことによって、日本の武力介入の口実をなくそうとした。このとき、朝鮮は日本と済物浦条約を締結して賠償金を払い、日本公使館の警備兵の駐屯を認定した。

清は以後、朝鮮の内政に積極的に千渉した。すなわち、哀世凱などが指揮する軍隊を常駐させ朝鮮軍隊を訓練し、馬建常とメレンドルフを顧問として派遣し、朝鮮の内政と外交問題に深く関与した。また、朝鮮は商民水陸貿易章程の締結によって清国商人の通商特権を許容し、経済的侵略を受けることになった。一方、再び権力を握った閔氏一派は政権を維持するために、親清政策に傾いていった。

【開化党の形成と活動】

開化思想の先覚者である朴珪壽の指導を受けた金玉均、朴泳孝、愈吉溶などが開港を前後して次第に一つの政治勢力に成長して開化派を形成した。開化派は1880年代に入って、政界へ進出して政府の開化政策を支援し、改革運動を推進した。ところが開化派には開化政策を推進することについて方法論を異にする二つの流れがあった。

当時の代表的な政治家というべき金弘集、金允植、魚允中などは、閔氏政権と結託し清の洋務運動を模範として漸進的な改革を迫求したので、彼らを穏健開化派または事大党という。

これに対して、金玉均、朴泳孝、洪英植、徐光範など少壮派官僚は、清の内政干渉と清に依存する政府の政策に反発して、さらに清の千渉で政府の開化政策が円満に推進されない現実を強く批判した。急進開化派または開化党といわれる彼らは、清の干渉を退け、自主独立を達成し、日本の明治維新を模範にして急進的な改革を推進しようとした。

金玉均を中心とする開化党要人は、朴珪壽の死後、中人出身で開化思想の先覚者であった劉鴻基の指導を受けた。また彼らは日本の驚くほど発展した姿を直接見て、近代的国政改革の緊急性を切実に感じるようになった。

開化党の活動は壬午軍乱を契機に活発になった。壬午軍乱後に朴泳孝が修信使として日本に派遣されたが、このとき金玉均、徐光範なども彼と同行した。彼ら開化党要人は、該博な開化知識と広い海外見聞で高宗の信頼を受け、様々な開化施策を実践していった。たとえば博文局を設置して『漢城旬報』を刊行し、軍事と学術などを学べるように日本に留学生を派遣し、近代的郵便事業のために郵政局を設置した。しかし、開化党は日本の態度が冷淡で開化運動のための惜款導入に失敗し、政治資金の調達が難しくなり、閔氏一派を中心とする親清勢力の牽制がいっそう厳しくなって、開化運動を思ったとおりに進められなかった。

(lll´Д`) なんかもーグチャグチャもな。

( ´@v@`) 一応整理しておいたほうがいいね。

1.守旧勢力←閔妃派(←親清)と大院君派とで対立。

2.儒生勢力←親守旧勢力&反日

3.旧式軍人勢力←反閔妃&反日

4.開化派←開化党(親日)と事大党(親清)で対立

5.民衆←反閔妃

6.清vs日本

( `w´) こう見ると、政権の中枢にいるやつは誰も近代化に反対はしてなかったんだな。

( ・w・) 反対してたのは今までの政治体制でおいしい思いをしてた人たちにゃ。

( `w´) それにしてもいたるところで反日思想ばら撒いてる教科書の割には「日本の態度が冷淡で」借款が得られなかった、とかって書いてあるあたりは、さすが韓国テイストだよな!

(-@-@ 壬午軍乱勃発の最大の理由は旧式軍の兵士たちへの俸給が13ヶ月も滞ったうえに、ようやく支払われたものは砂が混じった米だったかららしいんですが、そういう不名誉なことも当然書かないんですね。

( ´∀`) でもこれを見ると当時の朝鮮国内の状況がよく分かるモナ!政治的な権力争いで国内はグチャグチャだったモナ!

【参考】

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/%EF%BD%8A-2005/05/0505j0426-00002.htm

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/%EF%BD%8A-2005/05/0505j0412-00003.htm

http://members.tripod.com/textbook_korea/7_2.html#7_2_1

http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-4/ad1882a2.htm

http://www.tabiken.com/history/doc/J/J175L200.HTM

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nicho/gunran.html

2006年4月 4日 (火)

江華島条約

<ヽ`∀´> ウリナラも19世紀を過ぎるとヨーロッパからの侵略に悩まされるようになってきたニダ。

<ヽ`×´> でもそんなものは全部追っ払ってやったニダ!!

10年間執権していた大院君が権力の座から退いて閔氏一族が台頭すると、朝鮮政府の国内外政策は少しずつ変化しはじめた。

このとき、国内では開港反対論が優勢だったが、開港の必要性を主張する動きも芽生えていた。朴珪壽、呉慶錫、劉鴻基などの通商開化論者は、当時朝鮮社会が門戸開放のための内的準備ができていたと見なかったが、列強の軍事的侵略を避けるためには開港が不可避であることを主張した。このような通商開化論者の勢力は大院君政権の崩壊とともに成長し門戸開放のための条件をととのえた。

<;`∀⊂ヽ∵ みんなウリナラのために一生懸命知恵を出し合ったニダ!!

一方、明治維新以後、近代国家の体制を整え資本主義化を急ぐとともに海外進出を試みていた日本は、雲揚号事件を起こし朝鮮の門戸開放を強要してきた。そうして朝鮮はついに日本と江華島条約を結び門戸を開放するようになった(1876年)。

江華島条約はわが国が外国と結んだ最初の近代的条約であったが、これは不平等条約であった。江華島条約で朝鮮は自主国として日本と平等な権利を持つと規定していたが、それは朝鮮に対する清の宗主権を否認することによって、日本の朝鮮侵略を容易にしようとするものであった。そしてこの条約では朝鮮の釜山のほかに2港の開港日本人の通商活動許可と朝鮮沿海の自由な測量を規定していた。これは単純な通商交易の経済的目的を超えて政治的、軍事的拠点を作ろうとする日本の侵略意図をあらわにしたものだった

さらに、開港場での日本人犯罪者を日本領事が裁判する領事裁判権、つまり治外法権条項を設定することによって、朝鮮に居住する日本人の不法行為に対する朝鮮の司法権を排した。とくに、治外法権、沿岸測量権などは朝鮮に対する主権侵害だった。

このように、日本は過去に日本が開港するとき、アメリカ、イギリスなどと結んだ不平等条約をそのままわが国に強要したのだった。

江華島条約につづいて付属条約と通商章程が結ばれ、朝鮮国内での日本外交官の旅行自由、開港場での日本居留民の居住地域設定日本貨幣の流通、そして日本の輸出入商品に対する無関税及び糧穀の無制限流出などが許容された。これによって、朝鮮に対する日本の経済的侵略の足場が容易に構築された半面で、朝鮮は国内産業に対する保護処置をほとんど講じることができなくなった

【江華島条約の内容】

第1項 朝鮮国は自主の国であり、日本国と平等な権利を持つ。

第2項 日本国政府は今から15ヵ月後随時に使臣を朝鮮国ソウルに派遣する。

第3項 朝鮮国は釜山以外に2カ所を開港し、日本人の往来、通商を許可する。

第4項 朝鮮国は日本国の航海者の自由な海岸測量を許可する。

第5項 日本国人民が朝鮮国指定の各港に滞在中に犯した罪が朝鮮国人民に関係する事件であるときはすべて日本官員が審判する。

〝<lll`Д´>゛ 日帝の侵略ニダ!!

( ´・ω・`) 日本は朝鮮にひどいことをしたよね。

( ´@v@`) んーーー?まあそこまで言い切る前に、ちょっとこれを見てほしいな↓

http://photo.jijisama.org/hata.html

http://photo.jijisama.org/OldKorea.html

http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/heigouji-chousen.html#6

( ´@v@`) ここから以下のことが言えるね。

1.当時の朝鮮半島は清の属国と認識されていた。

2.人々は極端に貧しく、産業と言うべき産業などなかった。

3.まともな貨幣制度がなかった

4.まともな裁判制度もなかった。

5.支配階層は非常に横暴であった。

( ´@v@`) これに対して韓国の教科書の主な言い分は以下の通り。

1.無理矢理強要された条約だった

2.独立国と認めたのは、清の宗主権を否定することによって日本の侵略を容易にするための策略だ

3.開港した港での日本人の自由な通商が許可され、測量なども自由に行われた。これは開港を足がかりに日本が朝鮮を侵略しようとした意図の表れだ。

4.治外法権を認めさせられた。

5.関税自主権がない。

( ´@v@`) まず1番目の「強要させられた」ってことについて。ん~~~?朝鮮は「開港しようとしてた」ってこのテキストの最初の方に自分で書いてますよね?完全に自爆してますね。それに、先に砲撃してきたのは朝鮮側ですし、当時の朝鮮側からも、「誤認」による砲撃だったことを認める発言が出てきています。つまり朝鮮にやってきた船は確かに軍艦だったかもしれませんが、これは朝鮮側にも事前に了承済みだったわけです。

( ´@v@`) 次に二番目。あ~~~。やっぱり朝鮮って清の属国だったんですね。これも現在の韓国政府が隠そうとしてる事実ですが、ここでもやっぱり自爆しちゃってます。

( ´@v@`) 三番目。測量については日本船が安全に航行するためにどうしても必要だったものです。確かに主権侵害って言えばその通りかもしれませんが、まともな地図もなかったんだからしょうがないっていう面もあると思うんですけどね。それから、日本人の自由な通商については、何でいけないんでしょうか?逆に韓国にとっての「開港」って何?って聞きたいですね。

( ´@v@`) 四番目の治外法権。はっきりいって、まともな司法制度もなかったような国のルールで裁かれたくないです。しかもこの規定は双務規定。つまり朝鮮にいる日本人が日本の法律で裁かれるのと同じように、日本にいる朝鮮人も朝鮮の法律で裁くことが出来たのです。これは別に不平等とは言えないんじゃないかな?

( ´@v@`) 五番目に関税自主権がない。これは明らかに不平等条約ですね。でも当時の朝鮮半島で、特別大きな輸出品って何があったんだろう?それに、後に日本側はこれによって朝鮮の農民が苦しんでいるのを見ると、日本から朝鮮への米の援助を申し出ています。それに対して朝鮮側なんとこれを拒否!これを見ても、当時の朝鮮に自国の産業を守ろうという意思があったとは思えません。

(´@v@`) 最後に言っておきたいのですが、当時の世界は弱肉強食。日本だって欧米から不平等条約を結ばされてるし、そういう意味で当時の常識から言って、日本が特に朝鮮にひどいことをしたってことはないんだよ。

( `w´) まあ、確かに当時の両班の暴虐不尽なありさま見てると、法律とかが全然機能してないのは間違いないよな。そんなところに「キミ、今度うちも朝鮮事業進出するから、ちょっと行ってくれないか?」って言われたら、ソッコーで断るもんな。

( ・`_´・)  でもそこには「日本の方が先進国。朝鮮は日本を見習うべき。」という鼻持ちならない意識があった、と言うべきではないでしょうか?いくら日本人から見て野蛮に見えても「それはそれで朝鮮の文化だ」というのもまた正論なわけですから!貧しくて野蛮な国であれば、何をやってもいい、ということにはならないのでは?

( `w´) うん。この条約の内容見れば見るほど「朝鮮ってナメられてたんだな」ってのは確かに思うよ。でもね、日本のやり方は言われてるほど強引じゃないんだよ。日本は確かに威嚇はしたのかもしれないけど、戦争をけしかけたわけじゃないしね。

( ・w・) ちょっと前に来たフランス船は明らかに攻め込んできたニャ。

<#`Д´>/ それは侵略の事実を隠すための言い訳ニダ!日本はウリナラの誇りを傷つけたニダ!日本は侵略の意図があったことを認めるニダ!

(´@v@`) 今の価値基準で考えると、どうしてもそういう水掛け論になっちゃうよね。だから今の価値基準ではなく、当時の価値基準で考えるのが一番正しいんです。当時の朝鮮がこの条約を結ぶに至ったのは、ある意味朝鮮が無知で弱かったからなんです。これに対する国際的な非難の声は、一つもありませんでした。したがって、仮にこれを侵略の始まりとみなすとしても、歴史的に特別非難されるような内容ではないのは確実です。それに、当時の日本に朝鮮を侵略する明確な意図があったとは思えませんね。確かに日本国内に多少の強硬論はあったかもしれませんが、一つ飛びに植民地化を狙ってたような意見は、僕の知る限り全く見当たりません。なんでかって言うと、そこまでやると逆にコストのほうが高くついて、富国強兵で近代化を急いでた日本にとって、それはあまりにも非合理的な選択だからなんですね。それくらい、当時の朝鮮にはこれといった資源もなかった。日本からすれば、とにかく清から独立して、清やロシアの防波堤に早く育ってほしい、というだけのものだったと思います。とは言え、これはあくまで韓国の教科書に書いてあることですからね。別に当時の事柄をどう解釈しようと、それはその国の勝手だとは思いますよ。

【参考】

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/kaisetsu/other/niccho_shukojoki.html

http://toron.pepper.jp/jp/kr/textbook/syukou.html

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nicho/syukou2.html

http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi07.htm

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog201.html

http://www.infosnow.ne.jp/~sevas/adult/japan/japan4.html

http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi022.html

http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi014.html

http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi013.html

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