<ヽ`∀´> 高麗が倒れた後には李氏朝鮮がたったニダ。
<#`Д´#> その平和な李氏朝鮮に攻め込んできたのが秀吉ニダ!許せないニダ!!
【壬辰倭乱の勃発】
このころ日本では豊臣秀吉によって長期間にわたった戦国時代の混乱が収拾されていた。豊臣は国内政権の安定のために、不平勢力の関心を外に集めると同時に自らの征服欲を満足させるために朝鮮と明に対する侵略を準備した。
<#`Д´>″ 秀吉は礼儀知らずで強欲な野蛮人ニダ!チョッパリは信用できないニダ!
1592年4月、倭軍が侵略を開始した。倭軍が侵略してきて、釜山鎮と東萊城では鄭撥と宋象賢が奮戦したが、ついに陥落されてしまった。倭軍は.三つに分かれて漢陽をめざして北上した。これに対して忠州で申石立が背水の陣を布いて戦ったが、武器と戦略の不備で敗れた。
朝鮮朝廷は倭軍を避けて義州へ避難し、倭軍は漢陽を占領して北上をつづけ、平壌と威鏡道地方まで侵入した。
<;´Д`>∵ アイゴ-----!!
【義兵の抗争】
倭乱が生じると、全国各地で義兵が立って倭軍とたたかった。義兵は郷土の地理に精通し、郷土の条件にあった戦術と武器で倭軍に大きな打撃を与えた。
郭再祐、趙憲、高敬命、鄭文孚らがひきいる大小の義兵部隊の活躍は大きな成果をおさめた。義兵の輝かしい戦果は、海戦での李舜臣の勝利とともに戦況を変えた。
戦乱が長期化して倭軍に対する反撃作戦は一層強化されはじめた。すなわち、今まで散発的に立った義兵部隊を整備して官軍に編入することによって、官軍の戦闘能力を大幅に強化、作戦がより組織性を帯びるようになった。
<;`x´;> みんなで一致団結したニダ!!
【倭乱の克服】
朝鮮政府は、はじめは倭軍の攻勢におされて、宣祖が漢陽を離れて平壌、義州へ避難するなど、守勢を免れることはできなかった。しかし水軍と義兵の勝利で戦況が逆転し、倭軍を撃退するに至った。
戦争が長期化して朝鮮は明に援軍を要請し、明軍が戦争に参加した。朝・明連合軍は平壌城を回復して倭軍を南に追い出した。このとき権慄は幸州山城で倭軍を大いに打ち破った。
以後戦争は小康状態に入り、休戦会談が開かれた。しかしおたがいの主張が違って、3年間にわたった会談は決裂し、再び倭軍は侵入してきれた。これ対して朝鮮軍と明軍は倭軍が北上するのを稷稜山で防ぎ、南方へ撃退した。このとき李舜臣は倭軍を嶋梁へ誘導して一大反撃を加え、大勝利をおさめた。
陸地と海で再び惨敗を喫した倭軍は、次第に戦意を喪失して敗走しはじめた。朝鮮水軍は逃走する倭船数百隻を露梁の沖でさえぎり、最後の一撃を加えた。李舜臣はこの最後の戦闘で壮烈な戦死をとげた。露梁大勝を最後に7年間にわたった戦乱は終わりを告げた。
∵\<´▽`>/∵ ついにチョッパリをやっつけたニダ!!!
〃つД´;>゛ 李舜臣様は偉大ニダ!!
【倭乱の影響】
倭乱でわれわれが勝利をおさめることができたのは、わが民族がもっていた潜在的力量がすぐれていたためである。つまり、官軍次元のわが国防能力は日本に劣っていたが、全国民的次元の国防能力は日本を凌駕した。わが民族は身分の貴賎や男女老若を問わず、文化的な優越感に満たされて自発的な戦闘意識をもっていた。こうした精神力が国防能力に作用して倭軍を撃退させることができる力になった。
<ヽ`∀´> ウリナラが本気になればチョッパリごときに負けるわけないニダ!
一方、倭乱は国内外的に多くの変化をもたらした。まず、国内的には、長い戦争で人口が激減し、農村はたいへん荒廃した。したがって、国家財政の窮乏と食料不足を解決するための対策として空名帳(貧民救済のために富裕者に官位を売り、その代金の証書……訳者)が大量に発給された。また、李夢鶴の乱のような民乱が各地で起こり、土地台帳と戸籍が多く焼失したために、租税、搖役の徴発と身分の区別が混乱した。
また、国際的には、束アジアの形勢が大きく変化した。朝鮮と明が戦争で疲弊した隙に乗じて北方の女真族が急速に成長した。
そして東アジアの文化的後進国であった日本は、朝鮮から活字、書籍、絵画、陶磁器などの文化財を略奪し、多くの技術者と学者等を拉致していった。これとともに朝鮮の性理学も伝えられ、日本の文化発展に大きな影響を及ぼした。
∵≧Д≦∵ チョッパリはドロボーニダ!!
(-@-@ 黙って聞いてればとんでもないウソ・デタラメ言いたい放題ですね。まず開戦から平壌陥落まで、ものすごい死闘が繰り広げられたようなことが書いてありますが、これはウソです。ウソが言いすぎなら、明らかな誇張です。秀吉軍はこの時楽々連戦連勝、漢城陥落の時にも、秀吉軍が入った時にはすでに焦土になっていました。平壌も無血で入城しています。これは何ででしょうか?一説には朝鮮軍の焦土作戦だったといいます。しかしもう一方で、民衆が秀吉に味方した、という証拠も残っています。↓
【証拠】
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi31.htm
http://toron.pepper.jp/jp/middle/wakou/hideyoshi.html
(-@-@ つまり、確かに当時の朝鮮貴族からしてみればとんでもない災難だったかもしれませんが、朝鮮の貴族たちは決して民衆の支持を得ていたとは言いがたく、またそれほど勇敢に戦ったという形跡もありません。従って、義兵が活躍したというのもウソです。李舜臣にしても、戦いをしかけるのは決まって秀吉の補給部隊ばかりで(補給部隊だから大した武力はない)、最後に講和後で退却中の秀吉軍を襲い、島津義弘の正規軍と戦ってあっさり負けています。「李舜臣はこの最後の戦闘で壮烈な戦死をとげた。」と書いてあるのはそういうことです。
<#`Д´>/ でも倭軍がウリナラに負けたことは事実ニダ!倭軍が強いのなら負けるわけないニダ!
(-@-@ そうです。秀吉軍は明らかに弱かったはずなのです。というよりも、秀吉が本当に勝つ気があるのかどうか疑ってしまうほどです。秀吉が退却した時も、まだ日本国内に家康を中心とした軍勢が待機していましたから、やろうと思えばもっとやれたはずです。にもかかわらずやらなかった。なぜか?これはもう内部の不和があってやれなかったとしか考えられません。その他にも明軍の力も相当大きかったと考えられます。明軍が来るまではほとんど連戦連勝だったわけですから、明の力がなければ朝鮮半島は秀吉の手に落ちていたことは間違いないでしょう。
<#`Д´>/ それでも秀吉がとんでもない略奪を働いたのは事実ニダ!それによってウリナラの文化は破壊されたニダ!間違いを正当化しちゃいけないニダ!チョッパリは謝罪するニダ!
(-@-@ 確かに秀吉が略奪や虐殺を行ったのは事実だと思われます。しかし考えてみてください。秀吉の軍勢は全部で15万程度です。その程度で朝鮮半島全体を略奪しきれるわけはありません。しかも秀吉の最終目的は明です。朝鮮半島は単なる通過地点に過ぎません。秀吉の略奪だけで朝鮮半島全体の文化財が破壊しつくされたと考えるのはあまりにも非合理的です。また、秀吉の朝鮮出兵は今から400年以上も前の話です。これに謝罪を求めるのであれば、朝鮮側も元寇の謝罪をしなければなりません。
<#`Д´>/ ウリナラは昔から文化的先進国だったに決まっているニダ!そのウリナラに文化財がほとんど残ってないのはチョッパリが悪逆非道なやり方で全部奪っていったからに違いないニダ!!
( ´‐`) はいはい、全部悪いのは日本なんだよね。分かったよ。
<ヽ´∀`> そうニダ!素直に認めることは大事ニダ。
<ヽ`∀´> 認めたんだから賠償金よこすニダ!
はーーー(゜Д゜)ーーーー?????
【参考】
http://www.josuikai.net/josuikai/21f/55/kami/kami.htm
http://maki6544.up.seesaa.net/image/979B8Fw90b.txt
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-4/ad1592a.htm
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-4/ad1597a.htm
http://mi-si.blogzine.jp/blog/2005/05/post_9237.html
http://members.tripod.com/textbook_korea/5_2.html#5_2_4_1
最近のコメント