2006年3月31日 (金)

三国時代②―渡来人

<、`∀´> 北で高句麗が勢力を伸ばしていた頃、南にも辰韓、馬韓、弁韓の三つの勢力があったニダ。これがそれぞれ新羅、百済、伽耶にまとまっていったニダ。この時代多くのウリナラ同胞が倭国に渡っていって文化を伝えてやったニダ。チョッパリは感謝するニダ!!

新しい文物をもって日本に渡ったわが国の人たちは古代の日本人を教化した。

( ゜Д゜)″ キ…キョウカ……!!

`w´)  こんなもん、日本の教科書だったら腹切りもんだな!!

百済の阿直岐と王仁は日本に渡って漢文を教えたが、このとき漢学は日本人に文学の必要性を認識させ、儒教の忠孝思想も普及させた。また、百済は仏教、仏像と五経博士、医博士、暦博士、そして画家と工芸技術者等を送ったが、その影響で五重の塔も建てられ、百済伽藍という建築様式も生まれた。

一方高句麗も日本文化に多くの影響を及ぼした。高句麗の僧侶慧慈は日本の聖徳太子の師となり、曇徴は儒教の五経と絵画を教え、紙と墨の製造方法まで伝えた。日本の自慢の種である法隆寺の金堂壁画も曇徴の絵だといわれている。とくに現在日本の各地に残っている古代の仏像のなかには、その形や特徴からみて、三国の影響をうけたものが多い。

<、`∀´> チョッパリのあまりに未開な様を見るに見かねて、しょうがなく文化というものを教えてやったニダ!

羅では築堤術と朝鮮酒を日本に伝えたが、とくに築堤術の伝播で韓人の池という名前まで生まれるようになった。この他に三国の音楽も伝えられ高句麗楽、百済楽、新羅楽などの名まで生まれ、日本音楽の主流をなすに至った。

こうして三国時代にわが国の流移民が日本列島に渡って、先進技術と文化を伝え、大和政権を誕生させ、日本古代の飛鳥文化を成立させるのに貢献した。

<、`∀´> 日本の文化はみんなウリナラ起源ニダ!

( ´Д`) 仏教=インド 漢字・儒教・紙・墨=中国…………前方後円墳も韓国国内で見つかってるけど日本起源だし……

<、`Д´>″ ヤバイにだ!そういう都合の悪いものは埋め戻すニダ!!→http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/bunka08.htm 

( ´∀`) とは言え、この時期日本人が朝鮮半島からの渡来人によって受けた影響はものすごく大きいモナ。渡来人ありがとうモナ!!

2006年3月30日 (木)

三国時代①―高句麗

<、`∀´> 衛氏朝鮮が漢に滅ぼされた後、漢、魏、晋など、歴代の中国王朝が朝鮮半島を支配するニダ。

<、TДT>∴ 侵略ニダーーーー!!

<、`∀´> でも優秀な韓民族はそれからすぐに独立するニダ!高句麗の誕生ニダ!ウリナラマンセー!!!

3世紀中頃に衛が高句麗とのはさみ打ちで、満州一帯で独白な勢力を育ててきた公孫氏を滅亡させるや、高句麗は中国勢力と正面から対決するに至った。この過程で衛の侵入をうけたこともあったが、4世紀はじめに高句麗は楽浪郡を討って中国勢力をわが国から追い出すことに成功した(313年)。しかしその後、北から前燕、南から百済の侵略をうけて国家的な危機を迎えることにもなった。

高句麗が危機を迎えることになったのは、部族別に散らばっていた力を組織的に統率できなかったところにその原因があつた。

こうした状況を克服して国家体制を大きく改革しながら、新しい発展の土台を整えたのは
小獣林王のときのことだった。すなわち、仏教の受容、大学の設立、そして律令の頒布などは、まさしく地方に散在した部族の勢力を効果的に統制し、中央集権国家への体制を強化しようとするものであった。

( ゜Д゜) だ…大学ぅ???

(;`Д´) そ…そんなもん……証拠あるんすか?

;□-□) ……いろいろ調べたんですが、当時「太学」(テハク)という教育機関が建てられたという形跡がありまして、おそらくこれのことを指してると思われます。運営実態は不明ということで、少なくとも現在の近代的な大学とは大きな隔たりがあったろうと思われます。

(;゜∀゜)∴ アハハ八八八ノ\ノ\ノ\八八八ハハハ……捏造キターーーー(゜∀゜)ーーーーーーー!!!

(;゜∀゜)゛ 太学=大学…は…はらいてーーーーー!!!

(-□-□ しかし、この小獣林王の時代には仏教などを取り入れ、社会が安定していたことは事実のようです。本文にもあるように、この時代に高句麗繁栄の基礎が作られたことに間違いはありません。

( ^∀^) 高句麗では広開土王の次ぐらいに重要な人物モナ!

小獣林王のときの体制改革にもとづいて、広開土大王の時代には国力を外に膨張させ、その諡名が意味するように、広い領土を確保した。遼束方面を含んだ満州の大部分の地域が高句麗の版図となり、南側では百済を圧迫し、新羅を助けて南海岸の一部地域に侵入した倭軍を撃退したこともある。当時の活発な征服事業については、国内城に建てられた広開土大王陵碑にその内容が記録されている。


 その後、
長寿王のときには国内城から平壌に遷都し、高句麗発展の新しい転機をもたらした。高旬麗の平壌遷都は、内には王権を強化する契機となり、外には百済と新羅を圧迫する要因となったばかりでなく、西側の海岸に積極的に進出する契機となった。このころ高句麗は全盛期を迎えたが、北燕王が頼ってくると長寿王は、一時北中国地域の支配者であった北燕王を領土内にとどめて、彼を諸侯として遇したりもした。

( ・w・) 長寿王すごいニャ!中国も支配してたニャ!

;□-□)゛ こ…これなんですが…実は北燕の王が北魏に攻め込まれた時に、高句麗に亡命してきただけなんです。それまでも高句麗と北燕は、いろいろと人的交流もあったりしたんで…それで高句麗に頼ってきたんです。

(#`w´)″ なんだよまた捏造かよ!ようは名誉革命の時にジェームズがフランスに逃げたみたいなもんだろ!

<#`Д´>/ ヘンな言いがかりはやめるニダ!勝手に勘違いしたのはチョッパリの方ニダ!ウリナラに対する侮辱は許さないニダ!!

【参考】

http://www.studyinkorea.go.kr/jp/intro_02_2.htm

http://www.lifeinkorea.com/Information/educationj.cfm

http://www.tabiken.com/history/doc/G/G072C100.HTM

http://homepage1.nifty.com/history/history/koukuri.htm

http://ppkp.sakura.ne.jp/server/func/output.php?fc=mTmp_Wiki_Keys_Text&pr=8D828BE597ED

http://members.tripod.com/textbook_korea/3_2.html#3_2_1_1

2006年3月29日 (水)

古朝鮮④

<、`∀´> 続きニダ!今日は衛氏朝鮮ニダ!

中国の戦国時代以後混乱乱につつまれて、流民が大挙古朝鮮へ越境して来るようになった。古朝鮮は彼らを受け入れて西方地域に適宜住まわせた。その後、秦・漢の交替期にまた二度目の流民集団が移住してきた。そのなかの衛満は無慮1000余名をひきいて古朝鮮へ入って来た。

<、`∀´> 中国が困ってるみたいだから、しょうがないから住ませてやったニダ!中国は感謝するニダ!

衛満ははじめ準王に
古朝鮮の西方の辺境に居住することを請うて許しをうけた。その後、準王の信任をうけて、西方辺境の守備の任務を担当するようになった。このとき、衛満はそこに居住する移住民勢力を統率するようになり、それを基礎にして自らの勢力を次第に拡大していった。その後、衛満は首都の王倹城を攻めて準王を追い出し、自ら王になった(B.C.194)(注8)。衛満王朝の古朝鮮は、鉄器を本格的に使用した。鉄器を使用することによって農業と武器生産を中心にした手工業がさらに盛んになり、それにしたがって商業と貿易も発達した。

この頃、古朝鮮は社会、経済の発展にもとづいて中央政治組織を備えた
強力な国家に成長した

こうして優勢な武力を基礎にして活発な征服事業を展開し、広大な領土を占めた。また、地理的な利点を利用して、濊や南方の辰が中国の漢の国と直接交易するのを妨げ、伸介貿易の利得を独占しようとした。こうした経済的、軍事的発展を基盤に
古朝鮮は漢と対立するようになった

<、`∀´> ウリナラは漢帝国と対等の国ニダ!強国ニダ!

これに
不安を感じた漢の武帝は、水陸両面で大規模な武力侵略を敢行した、古潮鮮は第一次の戦闘で大勝を博し、以後約1年にわたって漢の軍隊に頑強に対抗したが、最後に王倹城を陥落されて減亡した(B.C.108年)。

(注8) 衛満は入国したとき、髭を結って、朝鮮人の服を着ていたのを見て、燕国に住んでいた朝鮮人だと思われた。衛満は国の名をそのまま朝鮮とし、その政権には土着民出身で高い地位にのぼった者が多かった。したがって衛満の古朝鮮は、檀君の古朝鮮を継承したものとみることができる。

<、`∀´> 前回までいろいろ言われたけど、衛満は実在したことが認められてるニダ!今度こそ正真正銘の韓国の正史ニダ!

( ・w・) 実際どの程度の信憑性にゃ?

(-□‐□ 衛氏朝鮮に関しては史記、漢書、三国志など、中国の複数の史書に書かれています。また考古学的な検証が可能なのもこの時代からです(その前の箕子朝鮮以前は遺跡が一つも出ていません)。時代的には日本の邪馬台国よりも、数百年ほど前です。ただし衛満の存在、及び建国そのものに関しては考古学的には証明されていません。おそらく邪馬台国の卑弥呼と同レベルの信憑性でしょう。さらに、細部に関しては誇張なども多いため、これらの史書に書いてあることが100%担保されるわけではありません。しかも、中国の歴史書に出てくる「朝鮮」というのが本当に今の朝鮮半島にあたる部分を示しているのかどうかも議論の余地のあるところです。

( ´∀`) 細部に関しては未確認情報が相当混じってるモナ。

( `w´) ところでさ、衛満て燕出身でしょ?本文見るとなんかネイティブ‐コリアンみたいなニュアンスで書かれてるけど、結局のところ中国人?朝鮮人?どっち?

(-□‐□ はっきりしたことはわかりません…。ただ、史書には特に「朝鮮人だった」とも、「朝鮮の服を着て」とも書かれていないですね。

( `w´) まーそらそーだろーな。存在そのものがクエスチョンマークなんだからな。でも韓国としてはやっぱ何とかして朝鮮人ってことにしておきたいわけだよな。その辺の執念っていうか、ほとんど願いに近いようなものが、なんか行間からあふれ出てるよな。

<、´∀`> ウェノム(倭人)はかわいそうニダ。自分の歴史が乏しいからといって、ウリナラの歴史をなにがなんでも否定したいニダ。

【参考】

http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/wajin.html

http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/chousen_kenkoku.htm

http://www.geocities.jp/salonianlib/history1/chapter02.html

2006年3月28日 (火)

古朝鮮③

<、`∀′> 前回の続きニダ!

古朝鮮は初期には遼嶺地方に中心をおいたが、後になって大同江流域の王倹城を中心にして独自の文化をつくって発展した(注7)。古朝鮮は燕国の侵入をうけて一時勢力が弱まったこともあった。

しかし紀元前3世紀頃には、否王、準王のような強力な王が登場し、王位を世襲し、その下に、相、大夫、将軍などの官職もおいた。また、遼河を境界線にして中国の燕と対立するほどの強盛を誇った。

(注7) 古朝鮮の発展と関連して箕子朝鮮についての記録がある。中国の史書には周の武王が箕子を朝鮮に封じたとなっている。そしてその年代を紀元前12世紀頃と推定してもいる。しかし箕子朝鮮を、朝鮮の発展過程で社会の内部に登場した新しい支配勢力を示すものとして、または東夷族の移動過程で箕子に成長したある部族が古朝鮮の辺境で政治勢力をつかんだものと見る見解が支配的である。

( ´・ω・`)  もうあきあきですね。否王も準王も箕子も全部伝説の人物。全く今までと同じパターンでいかにも実在したかのごとく書いているだけです。

(‐□‐□ 私にとって一番理解しがたいのが(注7)です。中国の史書に箕子朝鮮のことについての記述があるのにもかかわらず、どのような理由でそれを否定しているのか?全く理由を述べることなしにこれを否定している……。そのため、この文章全体が非常に説得力のない形になってしまっているのです。箕子をウリナラ起源とし、しかも論理的一貫性を持たせたいのであれば、「しかし」より前の二つの文章を完全になくした方が、まだマシです。

∵≧Д≦∵ みんないじめるニダー!!ウリナラの誇りを傷つけられたニダー!!

【参考】

http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/kk09.html

http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html

2006年3月27日 (月)

古朝鮮②

<、`∀′> 前回の続きニダ!

この時期には人びとが丘陵地帯に居住しながら農耕生活をしていた。このとき、桓雄部族は太白山の神市を中心にして勢力を作り、彼らは天の子孫であることを掲げて自己の部族の優越牲を誇示した。また、風伯、雨師、雲師をおいてそれらの農耕に関係あるものを管理し、私有財産の成立と階級の分化にしたがって支配階級は農事と刑罰などの社会生活を主導した(←以上ソース=三国遺事など13C以降の歴史書)

こうした内容(←遺跡などの物証なし)は、新石器時代末期から青銅器時代に発展する時期に、階級分化とともに支配者が登場し、以前とは異なる新しい社会秩序が成立する過程をよく見せている。”広く人間を益する(弘益人間)"ことも新しい秩序の成立を意昧するものである。

先進的な桓雄部族は周囲の他の部族を統合し、支配していった。熊を崇拝する部族は桓雄部族と連合して古朝鮮を形成したが、虎を崇拝する部族は連合から排除された。

檀君は祭政一致の支配者として古朝鮮の成長とともに周辺の部族を統合し、支配するために自らの祖先を天と結びつけた。つまり、各部族固有の信仰体系を総括しながら周辺の部族を支配しようとしたのである
(←ソースなし)

( ゜Д゜) ポカ--------------ン

(;^▽^) ほ…ほとんど妄想の世界ナリ……

( ・w・) 桓雄部族って何にゃ?

(‐□‐□ 桓雄というのは檀君の父親のことです。伝説によると、桓雄は天から人間界にやって来て、未開な人間たちを教化したということになってます。その際、穴ぐらの中に熊と虎がいて、熊は人間に化けて桓雄の子供(檀君)を作り、虎は人間になれずに逃げていったとされています。

( ・w・) つまり伝説上の桓雄→歴史上の桓雄部族、熊→熊を崇拝する部族、虎→虎を崇拝する部族、ということにゃりね!こういう部族がいたことを示す物証って何かあるにゃ?

(‐□‐□ ……

<#`Д′>/ そんなものどうでもいいニダ!古い歴史書に書いてあるニダ!間違いない事実ニダ!

http://fetia.blog34.fc2.com/blog-category-3.html

http://www.geocities.jp/salonianlib/history1/chapter02.html

2006年3月26日 (日)

古朝鮮①

<、`∀′> 韓国の歴史教科書を検証してみるニダ!

最も早く国家として発展したのが古朝鮮であった。古朝鮮は檀君王倹によって建国されたという(B.C.2333)檀君王倹は当時の支配者の称号であった(注5)。

(注5) 檀君の建国に関する記録は、『三国遺事→13C、『帝王韻紀』→13C、『応制詩註→14C、『世宗実録地理志→15C、『東国輿地勝覧』→15Cなどに出ている。天神の子が降りてきて建国したという檀君建国の記録は、わが国の建国過程についての歴史事実と弘益人間の理念を明らかにしている。このことはまた、高麗、朝鮮、近代を経て国が困難な状態にあるごとに、わが民族の伝統と文化の精神的支柱となってきた。

<、`∀′> B.C.2333!ウリナラは四大文明と同レベルの古さを持っているニダ!

<、`∀′> 檀君王倹は歴史学上存在が確認されてないけど、ウリナラの教科書はそんなこと気にしないニダ!

古朝鮮は遼嶺地方を中心に成長し、次第に隣接した君長社会を統合して、韓半島まで発展したとみられるが、このような事実(←ソースなし)は出土した琵琶形銅剣の分布によって知ることができる。古朝鮮の勢力範囲は、青銅器時代を特徴づける遺物の一つである琵琶形銅剣が出た地域とほとんど一致している(6)。

(6) 古朝鮮の勢力範囲は、青銅器時代を特徴づける遺物の琵琶形銅剣や美松里式土器などが出てくる地域とほとんど一致している。一方、東夷族の分布は、古代の韓民族だとすることのできる濊、貊、扶餘、高句麗、北沃沮、抱婁などをあわせた地域だと推定されている。

<、`∀′>  ウリナラの領土は本当はこんなに広いニダ!中国は侵略国ニダ!謝罪するニダ!Photo_2

(‐□‐□ はっきり言ってウソの上塗りに近いですね。琵琶形銅剣の一番古い年代はB.C.10C頃とされています。これを元に考えると、檀君王(B.C.2333)は青銅器文明と無関係だったことになります。それにもかかわらず、古朝鮮と琵琶形銅剣を結びつけるような記述がなされているのは意味不明というしかないですね。

 古朝鮮の建国事実を伝える檀君説話は、わが民族の始祖神話として広く知られている。檀君説話は長年月にわたって伝承され、記録として残されたものである。この間に何らかの要素が後代になって新しく添加されもしたし、ときにはなくなりもした。このことはすべての神話に共通する属性の一つとして、神話はその時代の人の関心を反映しているために歴史的な意昧をもっている。檀君の記録は、青銅器文化を背景にした古朝鮮の創立という歴史的事実反映している

(‐□‐□ 檀君王の話は神話あるいは説話なのでしょうか?それとも事実なのでしょうか?事実を反映してるというのであればどこまで反映してるのでしょうか?読む者に混乱を与えます。檀君王の建国の年号は信用していいのでしょうか?檀君王の存在そのものは信用していいのでしょうか?このようなあいまいな記述の仕方は教科書にはふさわしくないのではないでしょうか?

【参考】

http://infoseek.amikai.com/amiweb/browser.jsp?langpair=9,2&url=http%3A//mtcha.com.ne.kr/korea-term/goryo/term126-jewoangungi.htm&display=2?=JA&toolbar=yes&c_id=infoseek

http://toron.pepper.jp/jp/take/tizu/yomikaetml.html

http://toron.pepper.jp/jp/take/15C/taisyu.html

http://matsu.rcks.kyushu-u.ac.jp/p/study/12myth/(1)3tangunn/tangunn-story.html

http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/bbs0209/bbs/114.html

http://members.tripod.com/textbook_korea/2_2.html

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