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2006年4月30日 (日)

日本分割と竹島

今日は戦後の領土確定について考えたいと思います。

戦後、日本はGHQによって多くの領土を削り取られました。といってもピンと来ない人もいるかもしれませんが、戦前は朝鮮半島も台湾も、それから南洋諸島も全部日本でした。

これは蛇足ですが、私は子供のころパラオの国旗が日本の日の丸にそっくりなのを見て「なんでこんな遠く離れた日本と何の縁もゆかりもなさそうな国の国旗が、こんなに似てるんだろう?」と思ったことがありました。しかし実はパラオも戦前は日本だったのであり、「日本と何のゆかりもない」わけではないということを最近知りました。いや、というよりも、パラオの国旗は日本の国旗をまねて作ったものなのでした。パラオの人は日本の統治にとても感謝しており、その感謝と尊敬の念を込めて、パラオは独立の際に日の丸をモデルにして国旗を制定したのでした。

その日本だったものが日本じゃなくなるわけですから、これはもう大変なことだったということなんですが、最終的な戦後の日本領に関しては、サンフランシスコ平和条約で確定されることになります。

いろんなサイトを見てると、SCAPINがどうとか、カイロ宣言がどうとか、いろいろ言ってるわけですが、最終確定このサンフランシスコ平和条約だ、ということは重要です。

さて、それではそのサンフランシスコ平和条約にはなんと書いてあるのか?条約の全文はこちらですが↓

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/kaisetsu/other/tpj.html

竹島に関する規定はわずか数行。「日本国は、朝鮮の独立を承認して、斉州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と書いてあるのみです。

ここには「竹島」あるいは「独島」という文字は一文字も出てきません。朝鮮半島周辺にも島はたくさんあるわけですから、それをいちいち書けるわけはないからです。だから「斉州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮」には竹島も入ってる、というのが韓国側の言い分です。

これに対し、日本側は「条文に書かれた島は日本との国境線を示している」と解釈しています。確かに地図を見ると、条文に書かれた島は全て半島から比較的離れた島です。面積的に大きくても半島の近くの島は書かれていません。地図で確認すると確かに「なるほど」というかんじではあります。

地図→http://www.watanabesato.co.jp/wldculture/korea/krm.htm#m

ただ、これは後付けの話になるかもしれませんが、やっぱりできることなら「別注」とか付けて全ての島を定義するべきだったのかなあ、とは思いますね。

さて、こうなるともう条文見ただけではどっちがどっちと言うことができませんので、ここで初めて条文の趣旨がどういうものだったか、という議論になるわけです。しかしこれもまたかなりややこしい話なので、また次回ということにします。

近代以前の竹島

日本は1905年の島根県編入で、近代法にのっとって竹島を完全に領有するに至ったわけだが、もし仮にこれが無効だった場合、逆に韓国の側はこれを領有していたと言えるのか?

「竹島」という名称は比較的最近のもので、島根県編入以降のものである。それ以前は「リャンコ島」とか「松島」とか呼ばれていた。

Ururunndo 一方竹島から少し離れたところにある鬱陵島には、いくつかの小さな島、つまり属島があるが、その中の一つが(昔から)現在でも「竹島」とか「竹嶼」とか呼ばれている。そしてさらには今の鬱陵島は昔は「竹島」と呼ばれていたこともあり、これが議論をする際の混乱の元になっている。

韓国のよく出してくる論拠の一つに、1900年に大韓帝国が出した勅令がある。これには以下のような内容が書いてある。

第一条
鬱陵島を鬱島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡守に改正し、官制に編入し、郡等級は5等にすること
第二条
郡守は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と
竹島、石島を管轄すること

しかしここに出てくる「竹島」とか「石島」というのは経度や緯度、その他位置関係については何も書かれていない。前述の経緯から「竹島」は鬱陵島の属島の「竹島」のことだと推測できても、「石島」はどの島のことだか全く分からない。「石島」の韓国読みが「独島」に近いから「石島」は現竹島のことに違いないと韓国は言うが、これは全く根拠がない(韓国お得意の「語呂合わせ言語学」である)。

他にも、朝鮮の古い歴史書に「干山島」とか「干山国」とかいうのがあって、その歴史書によると朝鮮がこれを支配していたみたいに書かれている。そして韓国はこの「干山」を竹島だと主張したりするのだが、これも現竹島であるという根拠はない。それどころか「三国史記」や「輿地志」では、于山=鬱陵島だと書かれている。

さらに、朝鮮には竹島に関する正確な地図がない。つまり竹島=独島そのものを認識していなかった可能性が極めて高い。

これに対して、日本は江戸時代に多くの地図が作られており、その中にも竹島=当時松島について書かれているものがたくさん残っている。

また、江戸時代の「隠州視聴合紀」という文献には以下のように書かれており、位置関係もそれなりにしっかりつかんでいる。

島の総廻り十六里(島後)又未申の方五十八里にして、石州温泉津に至り、辰巳の方四十里、伯州赤崎あり。

卯の方凡百里にして、若州小浜に至り、丑寅の方百三十余里能州に当る。Takeshima1

亥の方四十里にして、松島あり。周り一里余にして、生木なき岩島といふ。

又酉の方七十余里にして竹島(欝陵島)あり。古より是を磯竹島といふ。竹木繁茂して、大島の由、是より朝鮮を望めば、隠州より雲州を見るよりも近し。今朝鮮人来りて住す。

竹島の位置だけでなく具体的な描写もあり、現在の竹島のそれと一致しているのがわかる。

さらに、日本人は江戸時代以前から竹島(現鬱陵島)に渡り漁をしていたが、その後朝鮮との争いで、江戸幕府がこの竹島(現鬱陵島)への渡航を禁止している(下のリンク参照)。

http://toron.pepper.jp/jp/take/ahn/ikken.html#tokakin

これを読んでも分かるとおり、江戸幕府は竹島(現鬱陵島)に関しては朝鮮人の居住地と認知してたらしい。そこに日本人漁民が「漁業に行きたい」と言ったので幕府が許可していたら朝鮮との間で問題になった。「余計な揉め事は避けたほうがいい」と判断した幕府は、竹島(現鬱陵島)への渡航をやめさせた。

これに対して松島(現竹島)のことは、ここでは何も書かれていない。しかし、松島(現竹島)はもとより人が住める島ではなく、別に朝鮮人に迷惑をかけることもない。であれば、以前から日本人漁民の寄港地として認知されていた松島での漁業を禁止する理由はないのだろうと推測される。

そして実際、松島への渡航は禁止されていなかった。その後も度々竹島や松島で漁をする人は現れたが、竹島の場合は幕府から罰せられても、松島の場合は罰せられなかった。

これらのことからも分かるとおり、日本は遅くとも江戸時代には現在の竹島を認知し、主に漁業に活用していた。それに対して朝鮮側の史料でそのようなものはなく、竹島そのものを認知してたかどうかすら疑わしい。

江戸時代の日本は封建制であり、国境の意味も現在のものとは違い曖昧なものだったのかもしれない。だから、この時代の文献を持ってきて正確な国境について議論すること自体がまずもってナンセンスなことだとは思うが、それでも白黒つけろと言われれば、実際に竹島の権益を利用していたことがはっきりしている日本のものだといっていいと思う。

2006年4月29日 (土)

大韓帝国は日本に逆らえなかったか?

前回はくどくどと日韓双方の言い分を書いたが、日本が現在最も重要な根拠として押し出しているのが1905年の島根県編入の事実である。これは最も古い近代法として、最も客観的にさかのぼることができるからである。ちなみに、これはあくまでも「竹島が日本の島根県の領土であることを確認した」ものであり、それ以前に日本が竹島を領有していなかったことを示すものではない。

しかし韓国は、これを日本の領土侵略の第一歩と捉えている。韓国がこれを侵略と捉える根拠は、当時の大韓帝国には日本に逆らうだけの外交上の自由がなかったからだという。

しかし、本当にそうなのだろうか?ここで当時の大韓帝国の状況を考えてみたい。

大韓帝国とは、1897~1910年に李氏朝鮮が使っていた国号である。そもそも李氏朝鮮は清の属国と見られていたが、日本は日朝修好条規によって朝鮮を独立国と認めた。その後も清国側はこれを認めず、朝鮮を属国として扱っていたが、日清戦争後の下関条約で朝鮮を「自主の邦」つまり独立国と認めた。

しかし当時の大韓帝国が完全な独立国としての体をなしているとは言えなかった。当時の朝鮮半島は李朝によって治められていたが、李朝の皇帝による浪費に次ぐ浪費と悪政によって、産業は衰え、まともな貨幣制度すらなく、兵士に支給する給与も米による現物支給で、それすらも長期間滞る有様だった。

そしてこのような状況が、周辺の大国による利権簒奪を促した。これは日本にとって脅威だった。日本にとって朝鮮半島は列強からの防波堤となっていてもらわなければ困る存在だったため、日本は朝鮮の独力による統治を期待することをあきらめ、徐々に保護国化を進めていった。

その手始めになったのが1904年の第一次日韓協約である。内容は以下の通り。

一 韓国政府ハ日本政府ノ推薦スル日本人一名ヲ財務顧問トシテ韓国政府ニ傭聘シ財務ニ関スル事項ハ総テ其意見ヲ詢ヒ施行スヘシ
一 韓国政府ハ日本政府ノ推薦スル外国人一名ヲ外交顧問トシテ外部ニ傭聘シ外交ニ関スル要務ハ総テ其意見ヲ詢ヒ施行スヘシ
一 韓国政府ハ外国トノ条約締結其他重要ナル外交案件即外国人ニ対スル特権、譲与若ハ契約等ノ処理ニ関シテハ予メ日本政府ト協議スヘシ

要するに日本の推薦する日本人の財務顧問を一人と、日本が推薦する外国人の外交顧問を一人つける。さらに、外国との重要な取引や条約締結などは、日本と相談して決める、という約束なのだが、これによって大韓民国は日本の竹島編入に逆らえなかった、というのが韓国の言い分なのである。

確かに、この取り決めでは大韓帝国の外交顧問には日本寄りの人物がはいることになっていて、日本の影響がないとは言えなさそうである。しかし同時に、外国との取り決めは「日本政府ト協議スヘシ」となっており、竹島に関する案件も日本と相談することぐらいはできそうである。

しかし当時大韓帝国が、竹島の島根県編入に関して特に日本に相談してきたという史料は、私は寡聞にして見たことも聞いたこともない(知ってる人がいたら教えてください)。これは大韓帝国が完全に黙認していたことを意味し、韓国が言うような「日本が無理矢理」的な解釈はあたらない。

2006年4月28日 (金)

日韓双方の主張

【日本の主張】

江戸時代の初期(1618年)、伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領して渡海免許を受け、毎年、同島に赴いて漁業を行い、アワビを幕府に献上していたが、竹島は鬱陵島渡航への寄港地、漁労地として利用されていた。また、遅くとも1661年には、両家は幕府から竹島を拝領していた。

1696年、鬱陵島周辺の漁業を巡る日韓間の交渉の結果、幕府は鬱陵島への渡航を禁じたが(「竹島一件」)、竹島への渡航は禁じなかった。

日本は1905年(明治38年)、1月の閣議決定に続き、2月の島根県告示により竹島を島根県に編入し、竹島を領有する意思を再確認している。

対日平和条約前の一連の措置に関する文書は、いずれもその文書の中で日本国領土帰属の最終的決定に関するものではないことを明記しており、竹島を日本の領土から除外したものではないことは明白である。また、もとより我が国固有の領土である竹島は、1943年のカイロ宣言にある「日本は、暴力及び貪欲により略取したる他の一切の地域より駆逐せらるべし」の「暴力及び貧欲により略取した」地域には当たらない。

1951年のサンフランシスコ平和条約において、日本がその独立を承認し、すべての権利、権原及び請求権を放棄した「朝鮮」に竹島が含まれていなことは、米国記録公開文書等で明らかである(以上http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.htmlより)

つまり、日本は江戸時代から竹島を領有してきたが、これを1905年の島根県編入により確認し、戦後アメリカによって「日本」は台湾、朝鮮、日本本土、沖縄などに分割されたが、竹島に関しては日本本土に含まれることをアメリカからも認められてる。

【韓国の主張】

独島が韓国領土なのは、古来の文献により明らかである。例えば、三国史記によると、新羅のイサプが西暦512年に鬱陵島を征伐したと記されている。

1894年にフランスで製作された地図には、韓国と日本の国境線を東海上に明記しており、独島は鬱陵(ウルルン)島とともに「于山(ウサン)島(I.Ouen-San)」と表記されている。(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/01/15/20040115000080.html

日本は1905年に独島を島根県に編入したといっているが、この時大韓帝国は日本の影響力の下にあり、逆らえる状況ではなかった。さらに、これに先立つ1900年には大韓帝国官報の勅令として、独島が大韓帝国の領土であると宣言している。従って、日本の主張は無効である。

戦争終結間近の1943年のカイロ宣言には、1894~95年清・日戦争の時の日本が中国から切り取った領土を全て日本から切り離す旨が書かれており、ここからも、独島が韓国のモノであることがわかる。

1952年には、李承晩ラインが設定され、これにより独島は完全に韓国の領土内になった。

サンフランシスコ平和条約にも、「独島」が日本のものとの記述はなく、これを根拠にすることもできない。

つまり、独島は戦争のどさくさにまぎれて日本が韓国から奪い取ったものだから、戦後の分割により韓国の領土になるのが当然である。

と以上である。ちなみに、カイロ宣言とサンフランシスコ平和条約の全文はこちら↓

カイロ宣言

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/kaisetsu/other/cairo_conference.html

サンフランシスコ平和条約

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/kaisetsu/other/tpj.html

これを見ると、少なくともカイロ宣言に「1894~95年清・日戦争の時の日本が中国から切り取った領土を全て」日本から切り離す、といったような文章はなく、これだけでもかなり疑わしい。

長くなったので、検証は次回にまわすものとする。

2006年4月27日 (木)

【竹島】やっぱり韓国は手のひら返した【合意】

日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)周辺の海底地名変更について、韓国の柳明桓外交通商第1次官は26日、国会で、先の日韓外務次官会談で6月にドイツで行われる国際会議での提案見送りまでは合意していないとの認識を示し、準備が整えば提案も可能との考えを明らかにした。

日本側は、会談で日本が竹島周辺での海洋調査計画を中止する代わり、韓国側が6月の提案を見送ることで合意したと発表したが、韓国側は韓国式名称への変更提案を「適切な時期に行う」との立場を表明していた。柳次官の発言により、合意をめぐる日韓の解釈の違いが浮き彫りになった。

盧武鉉大統領が25日の特別談話で地名変更を「当然の権利」と強調したことを受け、韓国側が「日本側の要求で譲歩しない」との原則を示したものだが、6月提案は準備不足により実現は難しい状況だ。(茨城新聞)

やっぱり約束守るつもりなんかありませんでしたね。まあ分かってはいましたが、こうも早いとは思いもよりませんでした。それにしても、あまりにくだらない言い訳に、開いた口がふさがりません。一体、これが国家を背負って立つ者の言う言葉でしょうか?

これに対して、日本側は当然断固たる対応をしなくてはなりませんね。具体的には、もう一度調査船を竹島に送り込むということです。

「別にそんなことしなくてもどうせ通りゃしないだろ?」と思う人もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。ただでさえ韓国側は竹島を実効支配しているのです。韓国の案が通るか通らないかなど関係ありません。本気で竹島を守る気があるのなら、日本は武力以外の部分で厳しい対応をしていかなければならないのです。

それにしても、この記事の扱いが日本のメディアですごく小さいのはなんで?

2006年4月26日 (水)

廬武鉉大統領特別談話

韓国の盧武鉉大統領の25日の特別談話の要旨は次の通り。

一、独島(日本名・竹島)は単にわが国の土地というだけでなく、日本の朝鮮半島侵奪過程で最も早く奪われた、特別な意味を持つものだ。韓国民には独島は完全な主権回復の象徴だ。

一、今日本が独島の権利を主張することは侵略戦争での占領地の権利、過去の植民地の領土の権利を主張するもの。韓国の解放と独立を否定し、日本が過去に行った虐殺などの犯罪の歴史の正当性を主張する行為だ。

一、日本が間違った歴史を美化し、それに基づいた権利を主張する限り、日韓の友好関係は決して正しくならず、日本がこうした問題に執着する限り、われわれは日韓関係の未来と北東アジアの平和に関する日本のどのような修辞も信用できない。どのような経済的利害関係も、文化的交流も問題解決の助けにはならない。

一、日韓には今も排他的経済水域(EEZ)の境界が画定されていない。日本が独島が自分のものだと主張、独島を(EEZの)基点だと固執しているためだ。東海(日本海)の海底地名問題は、EEZ問題と関連している。日本が韓国の海底に自らの地名をつけているのは不当であり、これを正そうとするのはわれわれの当然の権利だ。

一、日本が海底地名に対し不当な主張を放棄しない限り、EEZ問題も先延ばしにできない問題になり、結局、独島問題もこれ以上、静かな外交を続けることはできない問題になった。

一、われわれにとって独島は単純に小さな島の領有権の問題ではなく、間違った歴史の清算と完全な主権確立を象徴する問題。堂々と対処する。

一、政府は独島問題に対する対応方針を全面的に再検討する。独島問題を、日本の歴史教科書歪曲(わいきょく)、靖国神社参拝問題とともに日韓両国の過去の歴史清算と歴史認識、自主独立の歴史と主権守護の次元で、正面から扱っていく。

一、物理的挑発に対しては強力に断固として対応する。世界の世論と日本国民に日本政府の不当な扱いを告発する。日本政府が間違いを正すまで国家的力量と外交的資源すべてを動員し、持続的に努力していく。

一、そのほかにも必要なすべてのことを行う。どんな犠牲があっても妥協しない。

一、私は、歴史を冒とくし韓国人の誇りを傷つける日本政府の一連の行為が日本国民の普遍的な認識に基づいたものではないと期待している。日韓の友好関係や北東アジアの平和を危うくする行為が決して正しいものでも、日本に有利なものでもないと、日本国民もよく分かっているだろうからだ。われわれが感情的態度を自制し冷静に対応しなければならない理由もここにある。

一、日本国民と指導者に願う。われわれはこれ以上新たな謝罪を求めない。既に重ねた謝罪に見合う行為を要求しているだけだ。韓国に対する特別な態度を要求しているのではなく、国際社会の普遍的な価値に合う行動を求める。日本が隣国、国際社会に対しこうした基準の行動をとれば、経済の大きさに見合う成熟した、国際社会での主導的役割を担える国となることができる。

一、日韓両国は北東アジア、世界の平和と繁栄に向け、共に力を合わせねばならず、そのためには歴史の正しい認識と清算、主権の相互尊重という信頼が重要だ。日本は帝国主義の暗い過去を果敢に払い落とさねばならない。21世紀の北東アジアと世界の平和と繁栄に向けた日本の決断を期待する。

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小泉純一郎首相は25日、韓国の盧武鉉大統領が特別談話で竹島(韓国名・独島)の領有権問題に強硬姿勢で臨む姿勢を表明したことに関して「日韓友好を大前提に考え、冷静に対応していきたい」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。

日韓の首脳間交流が中断していることについて「首脳会談をやった方がよい。私はいつでも(首脳会談を)やると言っている」と改めて強調。「総合的、全体的に未来志向で考えた方がよい」とも語り、韓国側に日韓関係の改善を呼びかけた。

http://www.vipper.org/vip242004.avi.html

↑岩上 「廬武鉉大統領の、あの発言は戦争煽動ですよ・・・」

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単純におかしいと思わないだろうか?日韓のどちらも関係改善を望んでいる。しかしご存知の通り関係は悪化するばかり。

これは両者とも自分の言い分を絶対正しいと信じているからだ。だから、本当に平和共存を望むのであれば、お互いにどこかで妥協しなければならない。

そう考えるといつも妥協するのは日本の方だ。韓国が1mmたりとも妥協している姿など見たことがない。今回もこれだけ激しい談話を発表しているが、日本は実際のところ何もやっていない。

確かに海底の調査のために調査船を出そうとはした。しかし韓国と話し合ってお互い妥協しあい、韓国は海底に地名をつけないことにし、日本は調査を取りやめた。

これはどうみても侵略的な行為ではない。国なんだからお互いに言い分があるのは当然である。そこでお互いギリギリのところで妥協しあう。これすらも侵略だの冒涜だのと言うのであれば、これは日本との話し合いを拒否しているのと同じであり、平和を破壊する行為ですらある。

廬武鉉大統領が言うように「国際社会の普遍的な価値に合う行動を求める」と言うのであれば、まずは韓国の側はすぐに国際法廷に出てくるべきである。

小泉首相の「冷静に…」という言葉とは極めて対照的である。

2006年4月25日 (火)

あくまで事を荒立てたいのか?

外務省の谷内事務次官が記者会見で述べたところによりますと、韓国政府は、日韓両国が領有権を主張する竹島の西側の海域について、ことし7月にも海洋調査を計画しており、日本政府に対し、「韓国の排他的経済水域内の調査で、日本とは直接関係がない」と説明しているということです。これについて日本政府は「日本の固有の領土である竹島周辺で調査を行えば、日本の排他的経済水域が含まれる可能性が高く、両国の新たな対立の火種になるおそれがある」としています。そして韓国政府にこうした見解を伝え、計画を中止するよう求めています。竹島周辺の海洋調査をめぐっては、日本側が予定していた調査に韓国側が強く反発し、先週の末、両国の外務次官が協議した結果、韓国側が6月の国際会議でこの海域の地形に韓国の名称をつける提案を行わない一方、日本側も予定していた海洋調査を中止することなどで合意したばかりでした。(NHK)

もういいですよ。経済制裁やっちゃいましょうよ。もう韓国には死んでもらうしかないですね。

2006年4月24日 (月)

ちょっと休憩

ネコの癒し系フラッシュ↓

http://www.geocities.jp/cv21s/flash/yumenonakahe.html

2006年4月23日 (日)

竹島問題合意

竹島周辺海域での日本の海洋調査計画に韓国が反発している問題で、日韓両国は22日夜までの外務次官級協議で、<1>韓国は6月の国際会議で、韓国名の海底地形の提案をしない<2>日本は予定していた海洋調査を行わない<3>両国は排他的経済水域(EEZ)画定に関する交渉を5月中にも再開する――ことで合意した。(読売新聞)

一時は交渉決裂の噂まで流れたこのニュース。どうやら合意に達したみたいです。

なんかやんわりと問題を先送りにしたな、ってかんじですね。それでも、もしこれが決裂→調査強行→韓国調査船に攻撃となった場合には、戦争か経済制裁は避けられなかったわけで、とりあえず最悪の事態は避けれたということでしょうか?

心配なのは、韓国がこの約束を本当に守るのかどうか。韓国みたいな国であれば、約束破るのなんか朝飯前でしょうし、どうなんでしょうか?もしそうなった時の対応は、害無省が責任を持ってやらなければならないでしょう。

ところで、竹島は日本の領土ですが、今現在は韓国が実質支配している状況です。このような状況をあまり長く続けさせると、韓国側に既成事実を与えてしまい、日本にとってマイナスポイントとなるのは間違いありません。

韓国は国際司法裁判所にも出てきませんし、最終的にはどこかで実力行使は必要になってくると思います。

そのような意味合いで今回は最もいい機会ではあったのですが、その好機をどうやら逃してしまったとも言えそうです。

2006年4月22日 (土)

韓国 宴席で日本を侮辱!!

「ビールの泡がぱっとはじける模様があたかも、広島に原子爆弾が投下された時のキノコ雲がわき上が る様子に似ていますね。だから、原子爆弾酒とも言えます」 (コリア語で何言ってるかよく分かりませんが、よく聞くと「ヒロシマ」と言っているのだけは分かります。しかしそれ以上に、日本の大島大使のこのムッとした表情が全てをあらわしています。)

http://www.youtube.com/watch?v=gX-JbBYkiZ8&search=korea

↑you tubeで検索したらこんなもんが出てきました!!

みんなこれ見たらブログや掲示板にコピペしまくってください!

日本の大島大使が気の毒です!!

もうこんなくだらない国とは、国交断絶した方がいいんじゃないでしょうか?

2006年4月21日 (金)

日韓の駆引き

韓国外交通商部のユ・ミョンファン第一次官は21日、韓国メディアに対して、「日本の測量計画は物理的な力を使っても、最後まで防がなければならない」と述べました。(JNN)

外務省谷内事務次官:「結果はどうなるか分かりませんけれども、国際法に基づいて解決を図るべく、冷静かつ真摯(しんし)に話し合いを行いたい」(ANN)

【日本側の提案】

韓国が韓国名の提案を止めれば、日本も調査を止める

【韓国側の提案】

日本が調査を止めれば、韓国は韓国名の提案を延期する

ーーーーーーーーーーー

((交渉決裂の場合))→調査強行

韓国が攻撃してきた場合→国際的な風当たり強まる。韓国名の提案が通ることは絶望的。下手したら経済にも影響与える恐れあり。

((日本側の案が通った場合))→日本調査取りやめ

韓国が約束を破った場合→日本はまともな海図を作ることができず、そのまま韓国名が通ることもありえる

((韓国側の案が通った場合))→日本調査とりやめ。しかし、根本的な解決にはならず。

韓国が約束を破った場合→日本はまともな海図を作ることができず、そのまま韓国名が通ることもありえる

【まとめ】

韓国がここまで調査に強硬な姿勢を見せる背景には、韓国世論があると思います。韓国は義務教育においても「竹島は韓国の領土」と教えてる国であるため、その竹島周辺海域に日本名がつくなどということは、韓国世論が許しません。

国際法上は100年実効支配すれば紛争地域であっても領有権が認められるため、韓国としては竹島海域に日本名がつこうがなんだろうが、黙って見ているのが一番いいのですが、韓国人は「もう既に竹島は韓国のものなんだ!」と固く信じているようなので、どうしてもそのような静観の姿勢をとることができないのでしょう。

韓国がこのように強硬な姿勢をとればとるほど、国際世論の風当たりは韓国に対して強くなりますので、日本にとっては逆に有利になってくると思われます。

本当だったら韓国ごとき、日本が経済制裁や国交断絶をちらつかせるだけですぐに謝罪して竹島から撤退するに決まってるのですが、そこまでやるとまた中国あたりが大げさに取り上げて、ワーワー騒いでうるさくてしょうがないので、日本は相当穏便に対処していると思います。

日本としてみれば、今回の話し合いが決裂し、調査を強行し、韓国がトチ狂って攻撃して来る、というのが最高のシナリオなんですが、まあ、韓国もそこまでバカではないでしょう。恐らく日本の案を呑むんじゃないでしょうか?その後韓国がどのような対応をとるかは分かりませんが。

ニュース竹島

韓国は6月に行われる国際会議で、竹島周辺海域の海底の地形について独自の名前を提案しようとしています。日本政府は、この提案を撤回すれば海洋調査は中止すると打診していますが、韓国側から明確な回答はありません。(ANN)

ソウル市内にある日本大使館前では、調査反対を訴える人たちが、小泉総理大臣や日本の測量船の写真を焼き捨てるなどして気勢を上げました。

「独島守護隊」と称する30人あまりの集団は、20日午後2時過ぎから、日本大使館前でシュプレヒコールを上げました。集団のリーダーらは「測量船が竹島の海域から直ちに引き揚げるよう日本政府に要求する」と強く訴えました。 (ANN)

韓国は竹島の海域に日本名の地名がつくことが相当嫌なんでしょうね。それにしても、まだ海域に入ってないのに「出て行け!!」とはどういうことでしょうか?

これまた政府の捏造報道で洗脳されてるのでしょうか?それとも単に頭が悪いだけ?

2006年4月20日 (木)

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注:この記事は、某掲示板でコピペしてきたものです。オリジナルではないので誤解なきようお願いします。

2006年4月18日 (火)

日韓問題の基本図式③

3、日本の改革

日本は朝鮮の独力での改革は不可能だと判断した

【日本の影響】  

(#`Д´) もういいモナ!おまいらじゃもう無理モナ!

日韓併合!!

<#`Д´> チックショーーーー!!!

【日本の改革】

( ´∀`) みんな近代化するモナ!!

戸籍作り 農業改革 植林 貨幣改革 株式会社の導入 漁業令 鉱山の開発 発電所の建設、工場の建設 身分制度の廃止 道路整備 鉄道建設 シャーマン治療の廃止、未成年のキーセン(売買春)禁止・・・etc

収入→倍増!!

人口→倍増!!

食糧生産→倍増!!

民衆→<ヽ´∀`><ヽ´∀`><ヽ´∀`> ワーーイワーーイワーーイ!!

守旧派→<#`Д´> チックショーーーー!!!

【独立運動】

両班→<ヽ`∀´> あんなクソチョッパリなんかに支配されてたまるかニダ!独立政府を勝手に作るニダ!!

<lll´Д`> でも資金がないニダ!

<ヽ`∀´> そんなもん農民脅せばいくらでも出すニダ!!

独立派&旧両班→<ヽ`Д´> おらぁ!!愛国心があるなら金出すニダ!!

民衆→<lll´Д`> やー!!殺さないでーーーー!!!!!金出すからーーーーーーーー!!!!!!!

(#`Д´)/ 民衆いじめちゃダメモナ!!

∥Ф|´|Д|`|Ф∥ もう反省したニダ!出してほしいニダ!!

<ヽ`Д´> 国内は日本の監視が厳しいから無理ニダ。上海に大韓民国臨時政府建てるニダ!

4、戦後

日本が戦争で負けると、独立派テロリストが韓国の政権を握った

【戦後独立】

<ヽ`∀´> くっくっくっ・・・農民の被害は自分たちがやったことも含めて全部日本のせいにするニダ!!日本は悪逆非道の最悪の統治をしてたことにするニダ!!そうすれば自分たちの政府の正当性が担保されるニダ!!

反日デモ!!!

<#`Д´>/<#`Д´>/<#`Д´>/ 日本人は謝罪と賠償汁!!!!

嫌韓!!

(lll´Д`)(´ハ`lll) なにあいつら~~~

2006年4月16日 (日)

日韓問題の基本図式②

2、開国

日本は国交を求めて朝鮮に使節を出した

【開国・国内の腐敗】

( ´∀`)/[] 日本は政府が新しくなったモナ。開国してほしいモナ。

<ヽ`Д´> ダメニダ!この文書には「天皇」と書いてあるニダ!「皇」というのは清の皇帝のことニダ!ウリナラは清の属国だからダメニダ!

(lll´∀`) そんなこと言われても天皇は天皇モナ。

( ´Д`)(´ハ` ) う~~~ん、困りましたね~~~。

↓・・・とその時

日本の軍艦被爆!!

"<lll´Д`>゛ 誤解ニダ。単なる誤砲ニダ。

( ´∀`) OKモナ。そのかわり国交結んでほしいモナ。

日朝修好条規締結

その後朝鮮は日本の援助によって近代化を促進しようとした。

が、しかし・・・

守旧派の反対で頓挫。そして果て無き政治的抗争・・・↓

http://yoshre.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_1e3f.html#comments

既に朝鮮は、国家の体をなしていなかった。

2006年4月15日 (土)

日韓問題の基本図式①

1、はじめに

朝鮮民族の支配階層は両班という特権階級だった。

【横暴】

<ヽ`Д´> テメーのその目つき気にいらねえんだよ!

<lll´Д`> す・・・すいません!

拷問!!

【搾取】

<#`Д´> なんだゴルア!!これっぽっちかよ!!!

<lll´Д`> も・・・申し訳ありません。今年は不作だったもので・・・

<#`Д´> 言い訳なんか聞きたくねえんだよ!!!食いもんだったらほらここにたくさんあるじゃねえかよ!!

<lll´Д`> ああ・・・それを取られたら私は何を食べれば良いのか・・・?

<#`Д´> ああん?そんなこと知るかよ!!ゴチャゴチャいってるとまた拷問すっぞ!!!

【外交】

<ヽ`∀´> 白人なんて辺境の野蛮人ニダ!!儒教徒じゃないやつは徹底的に殺すニダ!!

辛酉教獄=宣教師処刑300余名!!

己亥教獄=フランス人宣教師など200余名処刑!!

丙午教獄=キリスト教徒20余名処刑!!

丙寅邪獄=フランス人宣教師9名、カソリック教徒数千名処刑!!

1865年からのカソリック教徒弾圧政策=総数約8000名処刑!!

´@ゝ@) チョウセンジンザンコクデーーース!!今スグ処刑ヤメルデーース!!(←抗議の軍艦)

<#`Д´>/ 黙るニダ!!

砲撃!!

【働かない】

<ヽ`Д´>y- おら!火ーつけろよ!!

<lll´Д`> は・・・はい!!

両班は労働を恥と考えていた。タバコの火すら自分でつけることを嫌った。両班の全てが特権的な身分と言うわけではなかった(李朝末期には両班の数は全人口の少なくとも半分を超えていたと言われている)が、一部の両班にとって李氏朝鮮の政治体制はまさにこの世の楽園だった。

2006年4月14日 (金)

青山里

<ヽ`∀´> 3・1独立運動後、ウリナラは上海に「大韓民国臨時政府」を作ったニダ。朝鮮内部では日本の監視が強かったから、国外で抵抗運動を続けたニダ!

1920年代に入って満州と沿海州には数多くの独立軍部隊が活動していだ。彼らは日本軍警と戦闘を展開するとともに、軍資金募金、密偵の処断、親日派の粛清などの活動を行なった。このなかで最も輝かしい成果をあげたのは洪範図が率いる大韓独立軍が勝ち取った鳳梧洞戦闘と、金佐鎮が率いる北路軍政署軍などが勝ち取った青山里大捷であった。

大韓独立軍は崔振東の軍務都督府軍、安武の国民会独立軍と連合して、鳳梧洞を奇襲してきた日本軍1個大隊兵力を包囲、攻撃して大勝利を収めた。これが鳳梧洞戦闘であった(1920年)。

日本軍は独立軍に思いがけない惨敗を喫したので、韓半島に駐屯していた部隊と関東地方に駐屯中だった部隊およびシベリアに出兵中だった部隊を動員して3方面から独立軍を包囲、攻撃してきた。

ために北路軍政署軍、大韓独立軍、国民会独立軍などの独立軍の違合部隊は日本軍大部隊を迎え6日間、十数回の戦闘で日本軍を大破する輝かしい戦果をあげた(注5)。これが青山里大捷であった(1920年)。

大きな打撃を受けた日帝は、独立軍の抗戦を自分たちの植民統治に対する脅威であると判断し、この機会に満州にある韓国独立運動の根拠地を掃討しようとした。そうして日帝は、独立軍はもちろん満州に住んでいる韓国人を無差別に虐殺し、村を焦土化させた間島惨変(庚申惨変)を起こした(注6)

(注5) 青山里大捷の戦果は資料ごとに異なっていて正確に明らかにできない。大韓民国臨時政府の発表は日本軍死亡1254人、朴殷植の『韓国独立運動之血史』では約2000人、この戦闘に参戦した李範奭の『陣中露営火』には死傷者を3300人であると記録している。

(注6) 間島地方で日本軍に虐殺された韓国人は琿春県で242人、延吉県で1124人、和龍県で572人、汪県で347人、寧安県で17人、このほかの県で804人にもなった。

( -_-) これもしょせん自作自演ですね。朝鮮人を殺したのは朝鮮人です。↓

http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/jpn1_rok0-5.html

(-□-□ 「日本軍を大破」というのもウソです。実際は日本軍の戦死=11 負傷=24です。↓

http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/aoyamasato.html

http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/koreatext7.html

( `w´) そもそも話しの展開がおかしすぎ。なんで大破された日本軍がそのまま敵の本拠地に入っていって住民もろとも焦土にすることができるのかわからない。そんだけ強いんだったら楽勝で住民を守れるだろ、どう考えても。

<ヽ`Д´> 違うニダ!日本の数字は捏造ニダ!軍隊は自分のところの被害はなるべく小さく発表するものニダ!

(-□-□ しかし日本側の資料は一応公的なものです。もし死者数を偽れば、日本国民に直接影響が出ます。韓国側の資料のように、単なる口コミよりもはるかに当てになることは間違いありません。

↓当時の大韓民国臨時政府

Photo_3( ´@v@`) 間島での大虐殺については、その動機がよくわからないね。日本側は住民を守ることに正当性があるわけだから、虐殺すればデメリットばかりでなんのメリットもない。それに比べて当時の大韓民国臨時政府ってのはこんなありさまだから、武器を買う資金もない。住民を脅したり、略奪したりすれば資金が手に入る。つまり彼らはほとんどテロリストと同じような存在だったわけだ。

2006年4月13日 (木)

3・1独立運動

<ヽ`∀´> 日帝統治下最大の民族運動、3・1独立運動ニダ。

挙族的な万歳示威運動を計画しながら、たがいに連絡を取り合っていた宗教界の代表が先頭に立って、ついに1919年3・1運動を起こした。孫秉煕、李昇薫、韓龍雲など民族代表33人の名前で独立宣言書を発表し、独立を国内外に宣布した。ソウルではタプコル(パゴダ)公園に集まった各級学校学生と市民が市街地に出て万歳示威を展開した。ほぼ同じ時期に地方でも万歳示威が相次いで起こった。全民族がこれに加わり、太極旗の波と大韓独立万歳を叫ぶ喊声は全国津々浦々に拡大、波及していった。

これに大きく狼狽した日帝は、憲兵警察はもちろん、陸海軍まで緊急出動させた。平和的な示威によって正当な要求を主張したわが民族は、無差別の銃撃によって殺傷され、家屋と教会、学校などの建物が焼き払われたり、破壊されるなど激しい受難にあった(注2)。

(注2) 定州、泗川、孟山、遂安、南原、陜川などでは日帝軍警の銃撃で数十人の死傷者を出し、華城堤岩里では全住民を教会に集合させた後、監禁し、火をつけ、虐殺した。また、示威に参加したという理由で、無数の人が投獄され、日本の警察から非人遣的な残酷な刑罰を受け、数多くの人びとが命をなくした。柳寛順の殉国の事実はこれをよく物語っている。3・1運動当時、万歳示威に参加した人員は総計2,023,098人であり、日帝軍警に殺された人は7509人、負傷者は15,961人、逮捕された人は46,948人であり、破壊、放火された民家が715戸、教会が47カ所、学校が2力所であった。

(lll´Д`) 「平和的な示威」は明らかなウソモナ。建物を破壊したり焼き払ったりしたのも警察ではなく朝鮮人モナ。殺されてもしょうがないモナ。↓

http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/k-textbook/3-1jiken1.html

( ´Д`) 死者7509人も怪しいモナ。↓

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/chousen/3.1.html

( ´д`)=э 堤岩里の出来事も明らかな正当防衛モナ。火をつけたのも朝鮮人モナ。↓

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nation/teiganri.html

( ・w・) 3・1事件の刑罰は世界一穏和だニャ。死刑は一人もいないニャ。一番重い刑で懲役三年だニャ。↓

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nation/31file2.html

2006年4月12日 (水)

愚民化政策

<#`Д´> 日帝の民族抹殺教育の実態ニダ!!

日帝は政治的、社会的弾圧や経済的収奪もさることながら、文化面においてもあらゆる手段を用いてわが民族の活動を統制した。

まず、教育分野では愚民化教育によって、いわゆる韓国人の皇国臣民化を策した。この目的にそって、わが民族は私たちの言葉に代わって日本語を学ぶように強制され、各級学校の教科書は彼らの侵略政策に合うように編纂された。彼らは私立学校や書堂などの民族主義教育機関を抑圧し、単なる初級の実業技術教育をとおして自分たちの植民地統治に有用な下級技術労働力の養成だけを策した。

(-□-□ 韓国の方たちは本当の愚民というものを分かっていない。アメリカの黒人奴隷がいい例です。愚民とは、字も書けず、計算も出来ない無明な人々です。つまり、「愚民化教育」という言葉そのものが矛盾しています。

( ´∀`)  愛国主義教育をするのはどこの国でも当たり前モナ。Faith_america_d_1

中日戦争以後はさらに残酷な植民地教育政策が実施された。すなわち、日帝が掲げる内鮮一体、日鮮同祖論、皇国臣民化のような荒唐無稽なスローガンのもとで、私たちの言葉と歴史の教育は一切禁止され、これに強く抗議した学校は閉鎖された。

( ´∀`) 日鮮同祖論が強いのはむしろ韓国の方モナ。↓

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog261.html

( `w´) おれさー、小学校の頃北海道にいたんだけどね。その時アイヌ人の歴史とかもやったのよ。多分東京でそういうのやる小学校ってあんまりないと思うんだけど、当時の朝鮮も日本の一部だったってことを考えれば、状況的にはこれとおんなじだと思うんだ。

( ・w・) おんなじだニャ。

( `w´) そうすると、朝鮮半島内で朝鮮の文化とか歴史とか教えるのは別に普通じゃん。

( ・w・) ふつうだニャ。

( `w´) でも同じことを東京の一部の小学校でやってたら、それって普通かな?

( ・w・) 必ずしも普通じゃないニャ。

( `w´) しかもその地方では勝手に臨時政府を作ってたりしてたわけで、そういう地方の歴史や文化を東京で教えてる一部の学校を国が閉校したら問題かな?

( ・w・) しょうがないニャ。

( `w´) そういうの以外で朝鮮総督府が勝手に学校を閉校したとかって、俺聞いたことないんだよね。

一方、国権侵奪とともに韓国人の言論・集会・結社の自由は剥奪され、そして日帝の植民統治に強く抗議する新聞はすべて廃刊させられたが、3・1運動以後には、いわゆる文化統治によって『朝鮮日報』、『東亜日報』の発行が認められるようになった。しかし、これらの民族紙は日帝の検閲によって記事が削除されたり停刊、廃刊にされ、言論人が拘束されるなど様々な迫害を受けた。

( ´∀`) 戦争末期には内地でも言論弾圧は盛んだったニャ。それどころか、朝鮮にも新聞とかがあったということは、「愚民化教育」の失敗を意味してるモナ。

日帝は民族の誇りと紐帯感を植え付けてくれている民族史を彼らの植民統治に有利な方法で歪曲した。とくに、民族史の根源ともいうべき古代史部門の歪曲が最もひどく、檀君朝鮮が否定され、韓国史の他律性と停滞性が強調され、民族史の自律性と独創性などは無視された。

(;゜∀゜)∵ ァハハハ八八八ノ\ノ\ノ\

〝(;'д゜)/゛∵ いまだに檀君王倹がいたとか言ってるよ!!!↓

http://yoshre.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_430c.html#comments

http://yoshre.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_8819.html#comments

( ^∀^)  朝鮮民族の自律性と独創性の証拠モナ!!↓

http://photo.jijisama.org/dependency.html

宗教活動も様々な弾圧を受けた。日帝のキリスト教勢力粉砕の陰謀のために、いわゆる安岳事件、105人事件が程造され、3・1運動以後には多くの教会指導者が独立運動に加担したとして逮捕、投獄された。とくに、1930年代後半以後には神社参拝が強要され、これに反対する宗教系統の学校は廃止され、キリスト教指導者は投獄された。

仏教においても寺刹令、僧侶法などが制定され多くの弾圧を受けた。天道教と大倧教などの民族宗教は日帝の監視と干渉がとくにひどく活動の自由が大きく制限された。

( ・_・) 李朝の宗教弾圧政策

1801年「辛酉教獄」=清国人宣教師の周文謨をはじめ300余名を処刑

1839年「己亥教獄」=アンベールら三人のフランス人宣教師をはじめ200余人を処刑

1846年「丙午教獄」=金大建ら20余人を処刑

1866年「丙寅邪獄」=9人のフランス人宣教師と、数千人のカソリック教徒を逮捕&処刑

1865年から3年間=約8000余人のカソリック教徒を処刑

(lll´Д`) 両方書かないと公平な判断ができないモナ。

【参考】

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nation/danatu.html

2006年4月11日 (火)

食料の収奪

<ヽ´w`> 日帝の食料収奪にあって朝鮮の農民は風前の灯火ニダ。

第1次世界大戦に参戦し、資本主義の基盤を急速に成長させた日帝は、高度成長のためにわが国に対する経済的収奪をいっそう強化した。

日帝は、工業化の推進による食糧の不足分をわが国から搾取しようとする、いわゆる産米増殖計画を立て、これをわが農村に強制した。1920年から15年計画で推進された産米増殖計画は、920万石を増産するという無理な目標を設定したために、増産量を達成することができなかった。ために日帝は土地改良事業をとおして増産をはかるが、この計画も目標どおりに達成できなかった。

しかし、米穀収奪だけは目標どおりに遂行したために、わが国の農村経済を破綻に陥れた。増産量よりはるかに多い量の米穀を収奪したので、わが農民は食糧事情が極度に悪化し、飢餓線上に苦しむようになった。

(中略)

(´□-□ ここに書いてある「米穀収奪」によって日本が利益を得るためには、日本は完全な社会主義体制の国でなければならないのです。しかいしご存知の通り日本は太平洋戦争末期を除いて、ずっと資本主義国でした。しかもこの「米穀収奪」によって、日本人が何らかの形で利益を得た形跡は一つもありません。それどころか、日本国内では朝鮮米の流入によって米価が下がり、朝鮮米の流入を規制すらしていました。「米穀収奪」は日本にとって百害あって一利なし、であって、しかも不可能なことでもあったことが分かります。

<#`Д´>/ 違うニダ!朝鮮から奪った米を輸出して利益を得ていたニダ!

( `w´) だとすると略奪されてたのが朝鮮人だけと考えるのは余計おかしいな。当時は東北地方でも娘の身売りとかがあったわけだから…。日本人が搾取してたってよりも、資本主義的収奪だと考えなくちゃ筋が通らない。

(ヽ´_`)  そしてそれは、当時の朝鮮人にだけ例外的に起こったことではないナリ。世界中どこにでもあった不幸ナリ。

( ゜∀゜) つまり韓国は、反日ではなく反資本主義を訴えてることになるモナ!

( ´∀`) 本当は米以外に売るものがない朝鮮の農民が、現金収入がほしいから自分の食べる分を削ってでも売ってただけモナ。これを見た日本政府は緊急雑穀輸入措置をとったこともあるモナ。

第1次世界大戦以後、アメリカの産業は技術の発達と企業の合理化によって生産力が高まった。しかし、商品の購買力が生産量に追いつかず、供給過剰現象をまねき、1929年ニューヨークの証券市場で株価が急落し、経済恐慌が起こった。この恐慌は急速に世界各国に波及し、経済破綻をもたらした。

(中略)

日帝の経済侵奪は1930年代に入って新しい様相で展開した。日帝は産米増殖計画が困難に直面すると、工業原料増産政策に方向を換え、綿花の栽培と綿羊の飼育を試みる、いわゆる南綿北羊政策を立て、これをわが農村に強要した。

( ゜∀゜) さて、ここで問題!なぜ日本は自分にとって何の利益もない朝鮮米増産や南綿北羊を推進したのでしょうか?

( ^∀^)/ はーいはーい!!朝鮮人のためモナ!!

<#`Д´> 違うニダ!!朝鮮人は韓日併合によって労働時間が倍増したニダ!!←事実

( ´゜v゜`) それは今までが怠けすぎだっただけじゃないの?↓

http://photo.jijisama.org/OldKorea.html

(;゜Д゜) 仕事は午前中で終了……!!

(-□-□ 当時は朝鮮人=日本人でした。まさに内鮮一体の時代でした。それは考えようによっては「余計なお世話」であり、朝鮮の文化をないがしろにするものだったのかもしれません。しかしそれによって、当時の朝鮮人は日本人と同レベルの福祉を受けることが出来ました。総督府の経営は大赤字でしたが、それでも朝鮮に投資したのは朝鮮を植民地としてではなく、自分たち日本人と同類と考えたからこそです。

(-@-@ 当時の朝鮮人が搾取されていた、という主張は、朝鮮が植民地だったに違いない、という妄想の上に築かれていると言っていいでしょう。植民地化というのは、被支配民を牛や豚と同じ扱いにすることなのです。内鮮一体論による皇民化教育の存在を認めると言うことは、朝鮮はもはや「植民地」ではない、ということを認めることでもあるのです。

( ・_・) 収益-費用=利益。人件費=費用。人件費の極小化=人を豚扱い。本当に植民地だったら、現地人は単純労働でこき使って、教育や指導みたいな無駄な投資はしないよね。

( `v´) 指導→× 監視→○ になるね。

【参考】

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00742617&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA&TOP_METAID=00742617

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/agri/kr-agri.html

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/agri/pusanag.html

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/agri/ugaki.html

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/agri/ryutsuu.html

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/agri/isyutumai.html

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/agri/kyoukyu.html

http://www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/online_data/korea/k1-5A-C.htm

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/touchi/jinkou.htm

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/nikkan5.html

http://www.tamanegiya.com/tyousenn-kome-.html

http://www.tamanegiya.com/goutou-.html

http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi022.html

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog056.html

2006年4月10日 (月)

産業の侵奪

朝鮮総督府はわが農民を没落させる土地調査事業以外にも、林業、漁業、鉱業など産業全般にわたって徹底した搾取政策を行なった。そうしてわが国の産業経済活動は日帝が設立した金融組合、農工銀行などによって統制された。それだけでなく、日帝は民族企業を規制するために会社令を制定・公布した。会社令は企業の設立を総督の許可制にし、許可の条件に違反するときには総督が事業の禁止と企業の解散を命じられるように規定した。こうして韓国人の企業活動が抑圧され民族産業の成長が阻害されれ鉄道・港湾・通信、航空、道路などは朝鮮総督府と日本の大企業が独占し、人参、塩、煙草などは朝鮮総督府が専売した。そのために民族資本は萎縮し、経済発展の道も閉ざされた。

(-□-□ ここでは会社令と専売制によって朝鮮の民族資本の成長が妨げられた、と書かれていますが、これは根拠のない誇張、あるいはウソです。

( `w´) まず会社令ってのはね、朝鮮人を排除するためじゃなくて、守るために作ったんだよ。当時の朝鮮人は、会社ってものをイメージすることすら出来なかったんだ。だから実際悪い日本人がね、朝鮮人から金だけ出させてトンズラしちゃうような話があったんだよ。それで「こりゃまずい」ってんで会社令を出したってわけ。

( ・w・) 実際朝鮮人の会社設立数も着実に伸びてるニャ。↓

【会社令による設立会社数】

日本企業 朝鮮企業   合計 
併合以前 172 28   200
1910-1915 96 28 124
1916-1920 302 101 403

小林英夫編、「植民地への企業進出、朝鮮会社令の分析」

( `w´) まあ、審査してたのは日本人だから、疑われてもしょうがないけどな。でも、少なくとも「経済発展の道も閉ざされた」って言うのはウソだな。

(-@-@ 専売制に関しては当時の総督府が行った専売制の実態を全く理解してないですね。

( `w´) まあな、塩とかにしても終戦まで朝鮮の製塩業者は存在したしね。

( ´@v@`) それどころか、当時価格競争力の高かった中国塩に対して輸入規制をかけて、朝鮮塩の保護政策も行っていますね。

( ・w・) 専売制=国の独占ではないニャ。

1920年代中盤に入ると、日本人の資本投資は軽工業から重工業分野に移っていった。1926年威鏡道に赴戦江水力発電所が完成し、翌年にその電力を利用した朝鮮窒素肥料工場が興南に建てられると、重工業への投資が活気をおびはじめた。とくに、1930年代には日本が満州と中国を侵略することによって、わが国は軍需物資を供給する兵姑基地になり、日本人の重工業投資がさらに増加するようになった。

林業分野でも山林令による林野調査事業が実施され、莫大な国・公有林と所有主が明確でなかった林野がほとんど日本人の手に移り、林野全体の50%以上は朝鮮総督府と日本人に占奪された。

( ´Д`) 何度も同じこと言わせるんじゃないモナ。大韓帝国の土地→日本の土地モナ。併合というものがどういうものなのか全くわかってないモナ。こんな記述で納得してしまう韓国の子供が心配モナ。

漁業分野での侵奪も例外ではなかった早くから韓国海岸に侵入し、わが漁民より優れた船舶と器具で多くの漁獲高をあげていた日本漁民は、1910年以後朝鮮総督府の後援の下でわが漁場を独占した。総督府は漁業令を公布し、日本漁民の成長を支援し、わが漁民の活動を抑圧した。こうしてわが漁民は奪われた漁業権の回復と守護のための抗争を全国の漁場で熾烈に展開した。日本の漁獲高が一時世界第2位を記録することができたのは、わが国の主要漁場を独占支配したためである。

(lll´Д`) 総督府が朝鮮人の漁業を抑圧したなんて証拠はどこにもないモナ。独占もしてないモナ。

朝鮮総督府は鉱業においても全国の鉱産資源を広い範囲で調査し、わが民族の鉱業活動を制約する鉱業令を制定、公布した後・日本人財閥に多くの鉱山を渡した。とくに、第1次世界大戦によって軍需鉱産物の需要が激増すると、この需要を充当するために、本格的に鉱産物略奪が行なわれた。こうして日本の大財閥が鉱業に参加し、生産物の大部分は日本へ搬出された。

( ´@v@`)朝鮮の多くの鉱山は、日本が本格的に調査するまでほとんど知られていませんでした。併合直後の1911年の朝鮮人の鉱山は全体の3%に過ぎませんでした。また、既存の鉱山のほとんどは、外国に売られていました。鉱山令のおかげで、こうした外国資本の鉱山が戻ってきたのです。

(´・v・) 北海道の石炭を東京に搬出→○ 朝鮮の資源を日本に搬出→× ここでも、日韓併合の意味が分かってません。

【参考】

http://hosi.org/k/p/m/debate.cgi?log=&dir=korea/history/modern/modernization/industry&v=2&e=CGI&lp=2&st=0

http://www.soc.hit-u.ac.jp/thesis/doctor/00/summary/tanaka_m.html

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/kougyou/kaisharei.html

http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/cat_1439232.html

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/agri/zourin.html

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/agri/terauchi.html

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00474197&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA&TOP_METAID=00474197

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/kougyou/kouzan.html

http://www.geocities.jp/vivelejapon1945/annexion.html

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/99-3/Kajii.htm

2006年4月 9日 (日)

土地の略奪

ノ;´Д`>ノ ウリナラの土地は全て日帝に奪われていったニダ!

国権被奪後、各種産業は日帝の植民地経済体制に改編された。そのなかでも核心的なのは、農業部門で行なわれたいわゆる土地調査事業で、その目的は全国的な土地略奪にあった。国権強奪以前に、すでにわが国での日本人の土地所有を認める法令を制定していた日帝は、引き続き土地調査令を発表し、莫大な資金と人を動員して、全国的な土地調査事業を行なった。そして近代的所有権が認定される土地制度を確立すると宣伝した。

(-@-@ 略奪略奪って言ってるけど、合併されるまでまともな土地調査が行われなかったことの方が問題だよね。近代化を目指してたんならそれぐらい当たり前なんだけど…。

これによって、わが農民は土地所有に必要な書類を具備して定められた期間内に申告する場合のみ所有権を認められた。しかし、当時、土地申告制が農民に広く知られておらず、申告期間が短いのに比べ手続きが複雑なので、申告の機会をのがした人が多かった。日帝が申告手続きを複雑にしたのは、いうまでもなく韓国人の土地を奪い取るための手段であった。また、農民のなかには日帝の施策に協助したくないという民族感情のために申告を故意に忌避し、申告されない土地が多かった。

( ´・ω・`) 手続きの方法が万全でなかったのは確かに問題があったよね。申告漏れで土地を失った人はかわいそうだね。

<;´Д`> アイゴーー!!日帝にだまされたニダ!!

(´・_・) 全体の0.5%程度だったとは言え、かわいそうだね。

( `w´)  ただ、当時土地を持ってたのは両班だけだったけどな。

日帝はこのような未申告地はもちろん、公共機関に属していた土地、村や門中の土地と森林、草原、荒蕪地なども全部朝鮮総督府所有にしてしまった。こうした土地調査事業によって不法に奪取された土地は全国土の約40%にもなった。

全国土の40%キターーーー(∀゜)(゜∀゜)(゜∀)(  ゜)(   )(゜ )(∀゜)(゜∀゜)ーーーーーー!!!!

(;□-□ まず、公共機関に属していた土地が朝鮮総督府のものになるのは当たり前です。

( ・w・) 併合ってそういうことだニャ。

(-□-□ また、全国土の40%という数字には、調査の結果課税地総面積が増えたことを全く考慮に入れていません。さらに、未墾地なども農地として計算しており、明らかに正統性を欠いた数字です。実際に接収された土地は全体の3%程度です。

朝鮮総督府は奪取した土地を東洋拓殖株式会社をはじめとする日本人の土地会社や個人に安値で払い下げた。突如、土地を略奪された農民は日帝当局にその不当性を抗議したが、日帝当局は正当な事由がないとして無視した。

(#`д´)″総督府が東拓に土地を譲ったなんてことはない!

( ´@v@`) 両班の不当な訴えを退けたことはありますけどね。

いわゆる土地調査事業の実施は韓国農民の生活基盤を徹底的に崩した。従来の農民は土地の所有権とともに耕作権も保有していたが、土地調査事業以後、多くの農民は期限付き契約による小作農へと転落してしまった。そうして生活基盤を喪失した農民は日本人の高利貸に苦しめられ、生計維持のために火田民になったり、満州、沿海州、日本などへの移住を余儀なくされた。

(-□-□ 耕作権が取り上げられたという例は一つもありません。「日本人の高利貸」がウソなのは以前に説明したとおりです。

【参考】

http://www.geocities.jp/vivelejapon1945/annexion.html

http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi40.htm

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/agri/tochil.html

http://www.tamanegiya.com/toti-.html

http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/shazai/2shou.html

2006年4月 8日 (土)

朝鮮総督府

<;´Д`> 多くの抵抗運動にもかかわらず、ウリナラは1910年、日帝によって国権被奪されるニダ!!

国権が強奪され、韓半島には日本軍2個師団と2万余人の憲兵警察および憲兵補助員が配置され、強力な憲兵警察統治が実施された。

日帝の憲兵警察による武断植民統治は世界にその類例のないものであった。日本の憲兵司令官が中央の警務総長となり、各道の憲兵隊長がその道の警務部長となった。そして全国各地に憲兵警察が配置され、わが民族は武力によって生存までも脅威にさらされた

憲兵警察の主要任務は警察の業務を代行すること以外に、独立運動家を捜索し処断することにあった。彼らには即決処分権がありわが民族に対し思いのままに笞刑を行なった。韓国人のあらゆる行為は憲兵警察の判断によって裁判もなく拘留されたり重い罰金が賦課された。また、一般官吏はもちろん、学校教員にまでも制服を着せ、刀を下げさせたことは威嚇的な憲兵警察統治の一手段であった。

(-□-□ 二個師団と2万人の憲兵警察というのはどの程度の兵力でしょうか?ここではこれが民族の生存が脅威にさらされるほどのものだと主張しています。しかし当時の朝鮮の人口は2000万人で、二個師団というのは約2~4万人です。つまり、当時の朝鮮半島の軍隊及び憲兵警察の規模は全部で多く見積もって6万人程度。しかも憲兵警察の約半数は朝鮮人です。さらにここに書いてある2万人の憲兵警察というのはウソで、憲兵警察は最大時で7000人程度、2万人というのは普通警察の最大時の規模です。これは人口が約1000万人の現在の東京都(人口規模=1/2 面積は言わずもがな)の警察官の数が約4万人なのと比べ極端に多かったと言えるでしょうか?また、この程度の兵力で、本当に威嚇的な統治が可能だったのでしょうか?

(;゜∀゜)∵ アハハ八八八ノヽノヽノヽノ\ノ\ノ\・・・朝鮮人弱すぎ!!!!

( ^∀^)  でかい口たたく前にせめて東京の警察ぐらい倒そうね。

その後、日帝は満州を占領し、さらに中日戦争を挑発して(1937年)、本格的に大陸侵略を強行するとともに、韓国を大陸侵略の兵站基地にした。そして、植民政策を強化し、わが民族をさらに弾圧し、あらゆる分野にわたって植民地収奪政策を強化した。

日帝はこれにとどまらず太平洋戦争を挑発した後、戦争遂行のために韓国の人的・物的資源収奪に狂奔した。それだけでなく、わが民族の文化と伝統を完全に抹殺し、韓国人を日本人に同化しようとあらゆる手段と方法を動員した。

わが民族は日帝の内鮮一体、日鮮同祖論、皇国臣民化のような荒唐無稽なスローガンのもとで、わが国の言葉と歴史を学ぶことができなかった。また、皇国臣民の誓詞暗誦、宮城遥拝、神社参拝はもちろん、はなはだしくはわれわれの姓名までも日本式に変えるように強制した。日帝はこれを拒否する人に対しては投獄、殺傷までも躊躇せず、このような政策に従わない宗教系統の学校は閉鎖された。

<#`Д´>/ ウリナラの文化を弾圧するなんて許せないニダ!!

(;´Д`)  ごめんなさい、ごめんなさい……。↓

http://photo.jijisama.org/hg.html

http://photo.jijisama.org/TextBook02.html

http://yoshre.cocolog-nifty.com/blog/cat1199492/index.html

(#`м´) 朝鮮人の政治家は何をやってたんだ!↓

http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuuichidai

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/A05.html

( ´@v@`) 当時の朝鮮人は立派な「日本人」だったんだよ。

( ・д・)  へーゴーされたんだもんね。 

また、わが民族は戦争に必要な食糧と各種物資を収奪され、わが国の青年は志願兵という名目で、また徴兵制徴用令によって、日本、中国、サハリン、東南アジアなどに強制動員され、命を失い、女性まで挺身隊という名で強引に連行され日本軍の慰安婦として犠牲になった。

<;´Д`> アイゴー!!

( ・_・) 志願兵=自ら志願する兵隊。↓

http://yoshre.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_e587.html#comments

( -_-) 慰安婦の証拠↓

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html

( ´・ω・`) 徴兵制って今の韓国でもやってるよね。

( `w´) 日本国内でも「アカガミ」とか、国家総動員法で鍋釜からなにから持っていかれたりとか、大変だったからな。その理屈でいったら日本人もたくさん「強制動員」されてたことになるよな。

( ´ハ`) 朝鮮で徴用が実施されたのは終戦間際の半年ぐらいだけじゃったけどのう。

( ´ー`) 結論。朝鮮人=ヘタレ

【参考】

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nation/manpower.html

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%D5%C3%C4

http://www.mofat.go.kr/pdffiles/08-0j_tobe.pdf

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/heigou/kenpei.html

http://www2.tky.3web.ne.jp/~moris/sanseiken/data/zainichi.html

武士とは?①

いきなりですが、武士とは何かを考えます。

まずは武士というものを日本人はどのように認識しているのか?まずは町の声を聞いてみましょう。

(lll´∀`) えーーー??刀持っててーーー。なんかチョンマゲ?とかしててーーーー。てゆーか分かんないモナーーー。

( ・`_´・) そりゃーもー武士道ですよ。日本の心です。

( ´@v@`) とりあえず「イエヤス」でしょ?あれって武士なんだよね??

( ´ハ`) あーーー。はーーーー。あなたお武家様ですかい?

(lll´∀`) いや、私じゃなくて・・・。

( ´ハ`) えらいこったーーーー。ナンマンダブ・・・・・・・。

( ゜∀゜) ああ、見ました見ました、「ラストサムライ」!!

・・・とまぁこんなかんじで、きわめてあいまいな認識しかないと思います。しかし以下の認識に関してだけは、とりあえず間違いないと思われます。

①日本の支配階級である

②権力基盤は武力である

③「武士道」という言葉もあるように、独特の精神性を有している

しかしこの程度の定義であれば、世界中に似たようなのはたくさんあるように思われます。

それはそのはずで、人間社会があれば大抵そこには権力者がいます。そしてその権力者の頂点に立つ者を王といい、さらに複数の王を束ねる者を皇帝と呼ぶ。これは全世界共通です。例えば、英語の「king」も「王」と訳され、「emperor」は「皇帝」です。中国だろうが、東南アジアだろうが、アフリカだろうが、全部いっしょ。

だけど武士は武士。騎士(knight)っていうのもあるけどなんか違う。

そんなこんなで

( ´∀`) あいまいだけど、まあいいモナ。

とかなんとか言ってる間に、韓国ではこんな主張がまかり通るようになりました。↓

http://koreawatcher.at.infoseek.co.jp/docs/kumdo_history.htm

これは韓国の剣道(kumdo)のサイトで、剣道が朝鮮の花郎という武士によって開発された、つまり「剣道は韓国起源」と言ってるわけで、こっちの方がもっと大きな問題なわけですが、それはさておきましょう。ここで問題なのは、花郎=武士と主張しているところです。本当に韓国にも日本と同じような武士がいたのでしょうか?また、それを武士と呼んでいいのでしょうか?

さらに問題なのは一部で武士そのものまでウリナラ起源だ、などというデムパを飛ばしてしまってることです。

あげくのはてには韓国映画まで↓

Photo

バックグラウンドはカンペキ朝鮮。高麗の時代の話らしいです。

ていうわけで、とりあえずこの辺で武士ってなに?っていうのをハッキリさせてやろうぜ!!ってのが今回の趣旨です。

ですが、前置きが長くなりすぎたので、本題は次回以降としたいと思います。

2006年4月 7日 (金)

経済的救国運動

<ヽ`∀´> 日清日露両戦争を通じて、日帝の略奪行為はどんどんエスカレートしたニダ。でもウリナラは力及ばないながらも戦ったニダ!

防穀令の施行は日本商人の農村市場の浸透と過剰な穀物搬出を防ぐために下された処置だった。朝鮮で防穀令は凶年になれば地方官の職権で実施することができた。

開港以後、穀物の日本流出が増えると穀物価格の暴騰現象が現れ、そこに凶年が重なって、威鏡道、黄海道などの地方官は防穀令を下した。

しかし、これに対して日本側が言いがかりをつけることによって防穀令は外交問題に拡大した。日本側は、防穀令を実施する1ヵ月前に朝鮮側が日本側に通告しなければならないという朝日通商章程の規定を口実に朝鮮側を強圧し、結局防穀令を撤回するようにした。

さらに、日本商人は防穀令によって損害を被ったとして巨額の賠償金を要求し、結局朝鮮政府は日本に賠償金を支払うことになった。

( ^▽^) 日本の「言いがかり」ってなに?

( ・-・) 朝鮮の朝日通商章程違反(実施する1ヶ月前に通告しなかった)。

( ´,_ゝ`) ププッ…。「自分は法律というルールの通用しない野蛮人です」って言ってるようなもんだね。

日帝の惜款捉供による経済的隷属化政策に抵抗して国債報償運動が起こった。日帝は統監府を設置し、彼らの植民地施設を整えるために施設改善などの名目を掲げてわが政府に日本から巨額の惜款を導人させたが、1907年まで導人させた惜款総額は大韓帝国の1年の予算とほぼ同じ1300万ウォンに達した。

そこで、国民の力で国債を返済し、国権を守ろうとする国債報償運動が大邸からはじめられ全国に広まった。国債報償期成会を中心に各種愛国啓蒙団体と言論機関が募金運動に参加した。募金のために禁煙運動が展開され・婦女子はかんざしと指輪まで出して呼応した。しかし、日帝統監府の悪賢い弾圧でこの挙族的な経済的救国運動は挫折させられてしまった。

↑妄想

↓現実

http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/kimura-archives.html

<ヽ^v^> お金ないから貸して~~~。

( ´∀`)  近代化のために役立つのであればどんどん貸すモナ。

<lll`Д´> ヤバイにだ!金借りすぎたニダ!こんなの返せるわけないニダ!国が乗っ取られるニダ!

<ヽ`x´>/<ヽ`x´>/<ヽ`x´>/ みんなでお金を出し合って返すニダ!

( ´∀`) 不良債権にならないように頑張るモナ。

( `w´) なんか頑張ってる割には支払い滞ってるのはなんで?

(lll´Д`) それが…自分の懐に入れてるやつがいっぱいいるらしくて…。

( `-´) よし、調べろ!

<lll`Д´> ヤバイにだ!捕まる前に逃げるニダ!→解散

【参考】

http://ameblo.jp/dreamtale/

http://nihonjustice.hp.infoseek.co.jp/23.htm

http://members.tripod.com/textbook_korea/7_3.html#7_3_1

2006年4月 6日 (木)

農民の困窮

<ヽ`∀´> 壬午軍乱の後甲申事変が起きて、その後東学党の乱が起きるまでの農村の状況ニダ。

開港以来、朝鮮をめぐって展開された列強の政治的、経済的、軍事的侵略競争は、甲申政変後にいっそう加熱された。清国と日本の問の侵略的対立はますます激化しただけでなく、ロシアとイギリスまでも朝鮮問題で衝突するようになった。このような状況にもかかわらず、朝鮮の支配層は外勢の侵略に適切な対応策を立てることができないまま、妥協と屈服をくり返し、当面の問題に対する解決能力を見せられなかった。

さらに、国家財政は開港以後の国際的紛争による賠償金支払いと、近代文物の受容に必要な経費支出などでいっそう窮乏し、支配層の農民に対する圧制と収奪も厳しくなった。

一方、朝鮮の農村経済は日本の経済的浸透によって疲弊していった。開港以後、朝鮮に最も早く侵略の手をのばした日本の勢力は、政治的な面では壬午軍乱と甲申政変を通じて清国に押され大きく弱まったが、経済的な面ではむしろ清国より強かった。

( ´∀`) 市場が開放されれば経済的な競争が起こるのは当然モナ。

( `w´) てゆーか朝鮮の農村は最初っから疲弊してたけどな。

日本人商人は最初は清国の商人たちと同様に、主にイギリスの綿製品を安く買って高く売る仲介貿易をしていたが、次第に自国製品に代えて莫大な利益を得た。当時、日本に対する朝鮮の輸出品は米穀が30%以上を占めていたが、日本政府の政治的庇護を受けた日本人商人は朝鮮農民の貧しい状況を利用して、立稲先売や高利貸の方法で穀物を買い入れて暴利を貧った

<;`Д´>〟 日帝は朝鮮の農民を食い物にしてたニダ!

(-□-□ これでも悪いのは全部日本ですか?↓

【金利】

朝鮮人→朝鮮人 月5分~6分

日本人→朝鮮人 月2分~4分

(-□-□ 高い金利よりも低い金利の方が借り手が多いのは当然です。当然今まで高利貸をしていた朝鮮人は割りを食っただろうとは思いますが…。

【参考】

http://8004.teacup.com/fv2ttjmt/bbs

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7751/zainiti_raireki.htm

http://members.tripod.com/textbook_korea/7_2.html#7_2_1

2006年4月 5日 (水)

壬午軍乱

<lll´Д`> 日本に開国した後、ウリナラは欧米列強の全ての国とも不平等条約を結んだニダ。

<;´Д`> 自らの遅れを謙虚に認識したウリナラは、進んだ日本の文物を取り入れ、懸命に頑張ったニダ!

【衛正斥邪運動の展開】

開化政策と外勢の侵略に対する反発は、最初に儒生層によって衛正斥邪運動の形で現れた。衛正斥邪は、正学と正道を守り、邪学と異端を排斥するという意味である。性理学を正統思想と信奉していた朝鮮社会で、衛正とは正学である性理学を守護することであり、斥邪とは性理学以外のすべての宗教と思想を排撃することであった。

朝鮮後期になって天主教が伝えられると、異質な西欧宗教、西欧文化は排斥の主要対象になった。初期の衛正斥邪運動は李恒老、奇正鎮などによって主導され、とくに李恒老の門人である柳麟錫、崔益鉉などによって継承された。

斥邪運動は、1860年代には酉洋の通商要求に対応して西洋との交易に反対する通商反対運動として展開され、つづいて西洋の武力侵略に対抗して斥和主戦論として現れ、大院君の通商修交拒否を強力に支援した。

そして儒生たちは1870年代の門戸開放と前後して、倭洋一体論、開港不可論を主張して開港反対運動を展閉し、1880咋代には政府の開化政策推進と『朝鮮策略』の流布に反発して嶺南万人疏など開化反対運動を展開した。

さらに、斥邪運動は1890年代以後には日本の侵略に抵抗する抗日義兵運動に継承された

衛正斥邪論者が外国との交易および開化政策に反対した主要な理由は、西洋の工業生産品とわが国の農業生産品を交易すると経済的破滅を招くことと、いったん門戸を開放すると日本をはじめとする列強の絶え間ない侵略を防ぐことができなくなることであった。彼らは政治的、経済的な面から強力な反侵略・反外勢の意志を持っていた。

しかし、これら儒生層の衛正斥邪運動は反外勢的自主運動としてだけ提示されたのではない。これよりはむしろ朝鮮王朝の専制主義的政治体制、地主中心の封建的経済体制、両班中心の差別的社会体制、そして性理学的唯一思想体制を維持させようとすることに目的をおいていた。それで衛正斥邪運動は当時の政府の開化政策推進に障害となり、それだけ歴史の発展を妨げる逆機能も持っていた。

( ´∀`) つまり衛正斥邪=反近代化、衛正斥邪=抗日義兵運動、抗日義兵運動=反近代化モナ!

( ´・v・`) そしてもう一つ特徴をあげるとするならば、当時の衛正斥邪運動は政教分離の考え方がなかったんです。だから西洋文物=キリスト教=反儒教という構図になり、ついでにその西洋文物を大幅に取り入れた日本も反儒教、反朝鮮王朝ということになったんです。ここが江戸時代からキリスト教を禁止しつつも蘭学を認めていた日本との大きな違いです。

【壬午軍乱の勃発】

開化政策と外勢の侵略に対する反発は、儒生層だけでなく、旧式軍人によっても起こされた。壬午軍乱は閔氏政権が新式軍隊である別技軍を優待して旧式軍隊を差別待遇したことに対する不満から爆発した(1882年)。

旧式軍人は大院君に援助を求め、政府高官の家を襲撃して破壊する一方、日本人教官を殺し日本公使館を襲撃した。それだけでなく、民衆が加勢するなかで閔氏政権の高官をも殺害した。壬午軍乱は大院君の再執権で鎮定されたように見えたが、これによって朝鮮をめぐる清日両国間の対立を招来した。すなわち、日本は朝鮮内の居留民保護を理由に軍隊派遣の動きを見せ、ために清はすばやく軍隊を朝鮮に派遣して、大院君を軍乱の責任者として清に護送していくことによって、日本の武力介入の口実をなくそうとした。このとき、朝鮮は日本と済物浦条約を締結して賠償金を払い、日本公使館の警備兵の駐屯を認定した。

清は以後、朝鮮の内政に積極的に千渉した。すなわち、哀世凱などが指揮する軍隊を常駐させ朝鮮軍隊を訓練し、馬建常とメレンドルフを顧問として派遣し、朝鮮の内政と外交問題に深く関与した。また、朝鮮は商民水陸貿易章程の締結によって清国商人の通商特権を許容し、経済的侵略を受けることになった。一方、再び権力を握った閔氏一派は政権を維持するために、親清政策に傾いていった。

【開化党の形成と活動】

開化思想の先覚者である朴珪壽の指導を受けた金玉均、朴泳孝、愈吉溶などが開港を前後して次第に一つの政治勢力に成長して開化派を形成した。開化派は1880年代に入って、政界へ進出して政府の開化政策を支援し、改革運動を推進した。ところが開化派には開化政策を推進することについて方法論を異にする二つの流れがあった。

当時の代表的な政治家というべき金弘集、金允植、魚允中などは、閔氏政権と結託し清の洋務運動を模範として漸進的な改革を迫求したので、彼らを穏健開化派または事大党という。

これに対して、金玉均、朴泳孝、洪英植、徐光範など少壮派官僚は、清の内政干渉と清に依存する政府の政策に反発して、さらに清の千渉で政府の開化政策が円満に推進されない現実を強く批判した。急進開化派または開化党といわれる彼らは、清の干渉を退け、自主独立を達成し、日本の明治維新を模範にして急進的な改革を推進しようとした。

金玉均を中心とする開化党要人は、朴珪壽の死後、中人出身で開化思想の先覚者であった劉鴻基の指導を受けた。また彼らは日本の驚くほど発展した姿を直接見て、近代的国政改革の緊急性を切実に感じるようになった。

開化党の活動は壬午軍乱を契機に活発になった。壬午軍乱後に朴泳孝が修信使として日本に派遣されたが、このとき金玉均、徐光範なども彼と同行した。彼ら開化党要人は、該博な開化知識と広い海外見聞で高宗の信頼を受け、様々な開化施策を実践していった。たとえば博文局を設置して『漢城旬報』を刊行し、軍事と学術などを学べるように日本に留学生を派遣し、近代的郵便事業のために郵政局を設置した。しかし、開化党は日本の態度が冷淡で開化運動のための惜款導入に失敗し、政治資金の調達が難しくなり、閔氏一派を中心とする親清勢力の牽制がいっそう厳しくなって、開化運動を思ったとおりに進められなかった。

(lll´Д`) なんかもーグチャグチャもな。

( ´@v@`) 一応整理しておいたほうがいいね。

1.守旧勢力←閔妃派(←親清)と大院君派とで対立。

2.儒生勢力←親守旧勢力&反日

3.旧式軍人勢力←反閔妃&反日

4.開化派←開化党(親日)と事大党(親清)で対立

5.民衆←反閔妃

6.清vs日本

( `w´) こう見ると、政権の中枢にいるやつは誰も近代化に反対はしてなかったんだな。

( ・w・) 反対してたのは今までの政治体制でおいしい思いをしてた人たちにゃ。

( `w´) それにしてもいたるところで反日思想ばら撒いてる教科書の割には「日本の態度が冷淡で」借款が得られなかった、とかって書いてあるあたりは、さすが韓国テイストだよな!

(-@-@ 壬午軍乱勃発の最大の理由は旧式軍の兵士たちへの俸給が13ヶ月も滞ったうえに、ようやく支払われたものは砂が混じった米だったかららしいんですが、そういう不名誉なことも当然書かないんですね。

( ´∀`) でもこれを見ると当時の朝鮮国内の状況がよく分かるモナ!政治的な権力争いで国内はグチャグチャだったモナ!

【参考】

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/%EF%BD%8A-2005/05/0505j0426-00002.htm

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/%EF%BD%8A-2005/05/0505j0412-00003.htm

http://members.tripod.com/textbook_korea/7_2.html#7_2_1

http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-4/ad1882a2.htm

http://www.tabiken.com/history/doc/J/J175L200.HTM

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nicho/gunran.html

2006年4月 4日 (火)

江華島条約

<ヽ`∀´> ウリナラも19世紀を過ぎるとヨーロッパからの侵略に悩まされるようになってきたニダ。

<ヽ`×´> でもそんなものは全部追っ払ってやったニダ!!

10年間執権していた大院君が権力の座から退いて閔氏一族が台頭すると、朝鮮政府の国内外政策は少しずつ変化しはじめた。

このとき、国内では開港反対論が優勢だったが、開港の必要性を主張する動きも芽生えていた。朴珪壽、呉慶錫、劉鴻基などの通商開化論者は、当時朝鮮社会が門戸開放のための内的準備ができていたと見なかったが、列強の軍事的侵略を避けるためには開港が不可避であることを主張した。このような通商開化論者の勢力は大院君政権の崩壊とともに成長し門戸開放のための条件をととのえた。

<;`∀⊂ヽ∵ みんなウリナラのために一生懸命知恵を出し合ったニダ!!

一方、明治維新以後、近代国家の体制を整え資本主義化を急ぐとともに海外進出を試みていた日本は、雲揚号事件を起こし朝鮮の門戸開放を強要してきた。そうして朝鮮はついに日本と江華島条約を結び門戸を開放するようになった(1876年)。

江華島条約はわが国が外国と結んだ最初の近代的条約であったが、これは不平等条約であった。江華島条約で朝鮮は自主国として日本と平等な権利を持つと規定していたが、それは朝鮮に対する清の宗主権を否認することによって、日本の朝鮮侵略を容易にしようとするものであった。そしてこの条約では朝鮮の釜山のほかに2港の開港日本人の通商活動許可と朝鮮沿海の自由な測量を規定していた。これは単純な通商交易の経済的目的を超えて政治的、軍事的拠点を作ろうとする日本の侵略意図をあらわにしたものだった

さらに、開港場での日本人犯罪者を日本領事が裁判する領事裁判権、つまり治外法権条項を設定することによって、朝鮮に居住する日本人の不法行為に対する朝鮮の司法権を排した。とくに、治外法権、沿岸測量権などは朝鮮に対する主権侵害だった。

このように、日本は過去に日本が開港するとき、アメリカ、イギリスなどと結んだ不平等条約をそのままわが国に強要したのだった。

江華島条約につづいて付属条約と通商章程が結ばれ、朝鮮国内での日本外交官の旅行自由、開港場での日本居留民の居住地域設定日本貨幣の流通、そして日本の輸出入商品に対する無関税及び糧穀の無制限流出などが許容された。これによって、朝鮮に対する日本の経済的侵略の足場が容易に構築された半面で、朝鮮は国内産業に対する保護処置をほとんど講じることができなくなった

【江華島条約の内容】

第1項 朝鮮国は自主の国であり、日本国と平等な権利を持つ。

第2項 日本国政府は今から15ヵ月後随時に使臣を朝鮮国ソウルに派遣する。

第3項 朝鮮国は釜山以外に2カ所を開港し、日本人の往来、通商を許可する。

第4項 朝鮮国は日本国の航海者の自由な海岸測量を許可する。

第5項 日本国人民が朝鮮国指定の各港に滞在中に犯した罪が朝鮮国人民に関係する事件であるときはすべて日本官員が審判する。

〝<lll`Д´>゛ 日帝の侵略ニダ!!

( ´・ω・`) 日本は朝鮮にひどいことをしたよね。

( ´@v@`) んーーー?まあそこまで言い切る前に、ちょっとこれを見てほしいな↓

http://photo.jijisama.org/hata.html

http://photo.jijisama.org/OldKorea.html

http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/heigouji-chousen.html#6

( ´@v@`) ここから以下のことが言えるね。

1.当時の朝鮮半島は清の属国と認識されていた。

2.人々は極端に貧しく、産業と言うべき産業などなかった。

3.まともな貨幣制度がなかった

4.まともな裁判制度もなかった。

5.支配階層は非常に横暴であった。

( ´@v@`) これに対して韓国の教科書の主な言い分は以下の通り。

1.無理矢理強要された条約だった

2.独立国と認めたのは、清の宗主権を否定することによって日本の侵略を容易にするための策略だ

3.開港した港での日本人の自由な通商が許可され、測量なども自由に行われた。これは開港を足がかりに日本が朝鮮を侵略しようとした意図の表れだ。

4.治外法権を認めさせられた。

5.関税自主権がない。

( ´@v@`) まず1番目の「強要させられた」ってことについて。ん~~~?朝鮮は「開港しようとしてた」ってこのテキストの最初の方に自分で書いてますよね?完全に自爆してますね。それに、先に砲撃してきたのは朝鮮側ですし、当時の朝鮮側からも、「誤認」による砲撃だったことを認める発言が出てきています。つまり朝鮮にやってきた船は確かに軍艦だったかもしれませんが、これは朝鮮側にも事前に了承済みだったわけです。

( ´@v@`) 次に二番目。あ~~~。やっぱり朝鮮って清の属国だったんですね。これも現在の韓国政府が隠そうとしてる事実ですが、ここでもやっぱり自爆しちゃってます。

( ´@v@`) 三番目。測量については日本船が安全に航行するためにどうしても必要だったものです。確かに主権侵害って言えばその通りかもしれませんが、まともな地図もなかったんだからしょうがないっていう面もあると思うんですけどね。それから、日本人の自由な通商については、何でいけないんでしょうか?逆に韓国にとっての「開港」って何?って聞きたいですね。

( ´@v@`) 四番目の治外法権。はっきりいって、まともな司法制度もなかったような国のルールで裁かれたくないです。しかもこの規定は双務規定。つまり朝鮮にいる日本人が日本の法律で裁かれるのと同じように、日本にいる朝鮮人も朝鮮の法律で裁くことが出来たのです。これは別に不平等とは言えないんじゃないかな?

( ´@v@`) 五番目に関税自主権がない。これは明らかに不平等条約ですね。でも当時の朝鮮半島で、特別大きな輸出品って何があったんだろう?それに、後に日本側はこれによって朝鮮の農民が苦しんでいるのを見ると、日本から朝鮮への米の援助を申し出ています。それに対して朝鮮側なんとこれを拒否!これを見ても、当時の朝鮮に自国の産業を守ろうという意思があったとは思えません。

(´@v@`) 最後に言っておきたいのですが、当時の世界は弱肉強食。日本だって欧米から不平等条約を結ばされてるし、そういう意味で当時の常識から言って、日本が特に朝鮮にひどいことをしたってことはないんだよ。

( `w´) まあ、確かに当時の両班の暴虐不尽なありさま見てると、法律とかが全然機能してないのは間違いないよな。そんなところに「キミ、今度うちも朝鮮事業進出するから、ちょっと行ってくれないか?」って言われたら、ソッコーで断るもんな。

( ・`_´・)  でもそこには「日本の方が先進国。朝鮮は日本を見習うべき。」という鼻持ちならない意識があった、と言うべきではないでしょうか?いくら日本人から見て野蛮に見えても「それはそれで朝鮮の文化だ」というのもまた正論なわけですから!貧しくて野蛮な国であれば、何をやってもいい、ということにはならないのでは?

( `w´) うん。この条約の内容見れば見るほど「朝鮮ってナメられてたんだな」ってのは確かに思うよ。でもね、日本のやり方は言われてるほど強引じゃないんだよ。日本は確かに威嚇はしたのかもしれないけど、戦争をけしかけたわけじゃないしね。

( ・w・) ちょっと前に来たフランス船は明らかに攻め込んできたニャ。

<#`Д´>/ それは侵略の事実を隠すための言い訳ニダ!日本はウリナラの誇りを傷つけたニダ!日本は侵略の意図があったことを認めるニダ!

(´@v@`) 今の価値基準で考えると、どうしてもそういう水掛け論になっちゃうよね。だから今の価値基準ではなく、当時の価値基準で考えるのが一番正しいんです。当時の朝鮮がこの条約を結ぶに至ったのは、ある意味朝鮮が無知で弱かったからなんです。これに対する国際的な非難の声は、一つもありませんでした。したがって、仮にこれを侵略の始まりとみなすとしても、歴史的に特別非難されるような内容ではないのは確実です。それに、当時の日本に朝鮮を侵略する明確な意図があったとは思えませんね。確かに日本国内に多少の強硬論はあったかもしれませんが、一つ飛びに植民地化を狙ってたような意見は、僕の知る限り全く見当たりません。なんでかって言うと、そこまでやると逆にコストのほうが高くついて、富国強兵で近代化を急いでた日本にとって、それはあまりにも非合理的な選択だからなんですね。それくらい、当時の朝鮮にはこれといった資源もなかった。日本からすれば、とにかく清から独立して、清やロシアの防波堤に早く育ってほしい、というだけのものだったと思います。とは言え、これはあくまで韓国の教科書に書いてあることですからね。別に当時の事柄をどう解釈しようと、それはその国の勝手だとは思いますよ。

【参考】

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/kaisetsu/other/niccho_shukojoki.html

http://toron.pepper.jp/jp/kr/textbook/syukou.html

http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nicho/syukou2.html

http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi07.htm

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog201.html

http://www.infosnow.ne.jp/~sevas/adult/japan/japan4.html

http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi022.html

http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi014.html

http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi013.html

2006年4月 3日 (月)

朝鮮通信使

<ヽ`∀´> 朝鮮通信使の話ニダ。

壬辰倭乱をきっかけに朝鮮と日本の外交関係は断絶していた。したがって、日本は経済的に困難に陥った。ために戦乱後成立した日本の徳川幕府は、先進文物を受け入れるために、対馬島主をとおして交渉を許可するように朝鮮に懇請した。朝鮮では日本が犯した誤りを恨みながらも、建国以来の交隣政策の原則に照らし、制限された範囲内での交渉を許した(1609年、己酉約条)。そうして富山浦に再び倭館が設置され、そこで日本人は米、木綿、人参などを求めていった。

<ヽ`∀´> あわれなチョッパリのために、しょうがないから国交を開いてやったニダ。

( ・w・) 江戸時代が始まった頃の日本ってそんなに経済的に困ってたのニャ?

(-□-□ いえ、日本の場合は韓国だけでなく琉球や蝦夷、それから欧州とも貿易をしてましたから、もし仮に困ってたとしてもそれが韓国との取引がなくなったからだというのはありえません。むしろ困ってたのは江戸幕府ではなくて対馬の宗氏の方だと思われます。対馬は農業生産力があまり高くなかったので、貿易に頼らざるを得ませんでした。幕府としては「朝鮮との貿易を通して幕府の威光を高めることが出来ればいい」ぐらいにしか思ってなかったのではないでしょうか?

また、日本は朝鮮を文化の先進国と考え、使節を派遣するよう要請してきた。これに対し、朝鮮では通信使を派遣したが、その一行はおよそ400余人になり、国賓として待遇を受けた。日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった。したがって、通信使は外交使節としてだけでなく、朝鮮の先進文化を日本に伝播する役割も果たした。

<ヽ`∀´> チョッパリは感謝汁! 

( `w´)  なんかこれも微妙に不自然な気がするな。日本より朝鮮の方が先進国なんだったら、普通使節を派遣するのは日本の側だろ。逆なんだよな、どう考えても。

(-@-@ この時代の日朝間の認識は、どうやら当時から完全にズレていたようですね。朝鮮側としては、日本が漢文と儒教の教養が低いのを見て、文明のレベルが低い、と判断したようです。しかし当時の日本は蘭学を通じて西洋医学も入ってきていましたし、江戸は世界で最も栄えた都市のひとつでした。実際日本に来た通信使も、江戸や大阪の繁栄を見て驚いています。これは現代に置き換えて言えば、途上国の人が日本に来て「彼らは英語も出来ないしキリスト教の信仰もない」とあきれてるようなものなのです。

( `v´) 実際、出迎えた新井白石も嫌悪感を持ってたみたいだし。

(lll´Д`) 朝鮮通信使の態度はひどすぎモナ!!!

http://www1.odn.ne.jp/~aaa23320/oisinbo/oisinbo_vol7.html

【参考】

http://homepage2.nifty.com/k-sekirei/otaru/nikkan_02.html

http://www1.odn.ne.jp/~aaa23320/oisinbo/oisinbo_vol7.html

http://mirror.jijisama.org/rekisi1.htm#tuusinsi

http://ton.2ch.net/news/kako/990/990548027.html

http://photo.jijisama.org/Ttsusin.html

韓国と日本の歴史地図―民族の源流をたどる

2006年4月 2日 (日)

秀吉の朝鮮出兵

<ヽ`∀´> 高麗が倒れた後には李氏朝鮮がたったニダ。

<#`Д´#> その平和な李氏朝鮮に攻め込んできたのが秀吉ニダ!許せないニダ!!

【壬辰倭乱の勃発】

このころ日本では豊臣秀吉によって長期間にわたった戦国時代の混乱が収拾されていた。豊臣は国内政権の安定のために、不平勢力の関心を外に集めると同時に自らの征服欲を満足させるために朝鮮と明に対する侵略を準備した。

<#`Д´>″ 秀吉は礼儀知らずで強欲な野蛮人ニダ!チョッパリは信用できないニダ!

1592年4月、倭軍が侵略を開始した。倭軍が侵略してきて、釜山鎮と東萊城では鄭撥と宋象賢が奮戦したが、ついに陥落されてしまった。倭軍は.三つに分かれて漢陽をめざして北上した。これに対して忠州で申石立が背水の陣を布いて戦ったが、武器と戦略の不備で敗れた。

朝鮮朝廷は倭軍を避けて義州へ避難し、倭軍は漢陽を占領して北上をつづけ、平壌と威鏡道地方まで侵入した。

<;´Д`>∵ アイゴ-----!!

【義兵の抗争】

倭乱が生じると、全国各地で義兵が立って倭軍とたたかった。義兵は郷土の地理に精通し、郷土の条件にあった戦術と武器で倭軍に大きな打撃を与えた。

郭再祐、趙憲、高敬命、鄭文孚らがひきいる大小の義兵部隊の活躍は大きな成果をおさめた。義兵の輝かしい戦果は、海戦での李舜臣の勝利とともに戦況を変えた。

戦乱が長期化して倭軍に対する反撃作戦は一層強化されはじめた。すなわち、今まで散発的に立った義兵部隊を整備して官軍に編入することによって、官軍の戦闘能力を大幅に強化、作戦がより組織性を帯びるようになった。

<;`x´;> みんなで一致団結したニダ!!

【倭乱の克服】

朝鮮政府は、はじめは倭軍の攻勢におされて、宣祖が漢陽を離れて平壌、義州へ避難するなど、守勢を免れることはできなかった。しかし水軍と義兵の勝利で戦況が逆転し、倭軍を撃退するに至った。

戦争が長期化して朝鮮は明に援軍を要請し、明軍が戦争に参加した。朝・明連合軍は平壌城を回復して倭軍を南に追い出した。このとき権慄は幸州山城で倭軍を大いに打ち破った。

以後戦争は小康状態に入り、休戦会談が開かれた。しかしおたがいの主張が違って、3年間にわたった会談は決裂し、再び倭軍は侵入してきれた。これ対して朝鮮軍と明軍は倭軍が北上するのを稷稜山で防ぎ、南方へ撃退した。このとき李舜臣は倭軍を嶋梁へ誘導して一大反撃を加え、大勝利をおさめた。

陸地と海で再び惨敗を喫した倭軍は、次第に戦意を喪失して敗走しはじめた。朝鮮水軍は逃走する倭船数百隻を露梁の沖でさえぎり、最後の一撃を加えた。李舜臣はこの最後の戦闘で壮烈な戦死をとげた。露梁大勝を最後に7年間にわたった戦乱は終わりを告げた。

∵\<´▽`>/∵ ついにチョッパリをやっつけたニダ!!!

〃つД´;>゛ 李舜臣様は偉大ニダ!!

【倭乱の影響】

倭乱でわれわれが勝利をおさめることができたのは、わが民族がもっていた潜在的力量がすぐれていたためである。つまり、官軍次元のわが国防能力は日本に劣っていたが、全国民的次元の国防能力は日本を凌駕した。わが民族は身分の貴賎や男女老若を問わず、文化的な優越感に満たされて自発的な戦闘意識をもっていた。こうした精神力が国防能力に作用して倭軍を撃退させることができる力になった。

<ヽ`∀´> ウリナラが本気になればチョッパリごときに負けるわけないニダ!

 一方、倭乱は国内外的に多くの変化をもたらした。まず、国内的には、長い戦争で人口が激減し、農村はたいへん荒廃した。したがって、国家財政の窮乏と食料不足を解決するための対策として空名帳(貧民救済のために富裕者に官位を売り、その代金の証書……訳者)が大量に発給された。また、李夢鶴の乱のような民乱が各地で起こり、土地台帳と戸籍が多く焼失したために、租税、搖役の徴発と身分の区別が混乱した。

 また、国際的には、束アジアの形勢が大きく変化した。朝鮮と明が戦争で疲弊した隙に乗じて北方の女真族が急速に成長した。

 そして東アジアの文化的後進国であった日本は、朝鮮から活字、書籍、絵画、陶磁器などの文化財を略奪し、多くの技術者と学者等を拉致していった。これとともに朝鮮の性理学も伝えられ、日本の文化発展に大きな影響を及ぼした。

∵≧Д≦∵ チョッパリはドロボーニダ!!

(-@-@ 黙って聞いてればとんでもないウソ・デタラメ言いたい放題ですね。まず開戦から平壌陥落まで、ものすごい死闘が繰り広げられたようなことが書いてありますが、これはウソです。ウソが言いすぎなら、明らかな誇張です。秀吉軍はこの時楽々連戦連勝、漢城陥落の時にも、秀吉軍が入った時にはすでに焦土になっていました。平壌も無血で入城しています。これは何ででしょうか?一説には朝鮮軍の焦土作戦だったといいます。しかしもう一方で、民衆が秀吉に味方した、という証拠も残っています。↓

【証拠】

http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/rekisi31.htm

http://toron.pepper.jp/jp/middle/wakou/hideyoshi.html

(-@-@ つまり、確かに当時の朝鮮貴族からしてみればとんでもない災難だったかもしれませんが、朝鮮の貴族たちは決して民衆の支持を得ていたとは言いがたく、またそれほど勇敢に戦ったという形跡もありません。従って、義兵が活躍したというのもウソです。李舜臣にしても、戦いをしかけるのは決まって秀吉の補給部隊ばかりで(補給部隊だから大した武力はない)、最後に講和後で退却中の秀吉軍を襲い、島津義弘の正規軍と戦ってあっさり負けています。「李舜臣はこの最後の戦闘で壮烈な戦死をとげた。」と書いてあるのはそういうことです。

<#`Д´>/ でも倭軍がウリナラに負けたことは事実ニダ!倭軍が強いのなら負けるわけないニダ!

(-@-@ そうです。秀吉軍は明らかに弱かったはずなのです。というよりも、秀吉が本当に勝つ気があるのかどうか疑ってしまうほどです。秀吉が退却した時も、まだ日本国内に家康を中心とした軍勢が待機していましたから、やろうと思えばもっとやれたはずです。にもかかわらずやらなかった。なぜか?これはもう内部の不和があってやれなかったとしか考えられません。その他にも明軍の力も相当大きかったと考えられます。明軍が来るまではほとんど連戦連勝だったわけですから、明の力がなければ朝鮮半島は秀吉の手に落ちていたことは間違いないでしょう。

<#`Д´>/ それでも秀吉がとんでもない略奪を働いたのは事実ニダ!それによってウリナラの文化は破壊されたニダ!間違いを正当化しちゃいけないニダ!チョッパリは謝罪するニダ!

(-@-@ 確かに秀吉が略奪や虐殺を行ったのは事実だと思われます。しかし考えてみてください。秀吉の軍勢は全部で15万程度です。その程度で朝鮮半島全体を略奪しきれるわけはありません。しかも秀吉の最終目的は明です。朝鮮半島は単なる通過地点に過ぎません。秀吉の略奪だけで朝鮮半島全体の文化財が破壊しつくされたと考えるのはあまりにも非合理的です。また、秀吉の朝鮮出兵は今から400年以上も前の話です。これに謝罪を求めるのであれば、朝鮮側も元寇の謝罪をしなければなりません。

<#`Д´>/ ウリナラは昔から文化的先進国だったに決まっているニダ!そのウリナラに文化財がほとんど残ってないのはチョッパリが悪逆非道なやり方で全部奪っていったからに違いないニダ!!

( ´‐`)  はいはい、全部悪いのは日本なんだよね。分かったよ。

<ヽ´∀`> そうニダ!素直に認めることは大事ニダ。

<ヽ`∀´> 認めたんだから賠償金よこすニダ!

はーーー(゜Д゜)ーーーー?????

【参考】

http://www.josuikai.net/josuikai/21f/55/kami/kami.htm

http://maki6544.up.seesaa.net/image/979B8Fw90b.txt

http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-4/ad1592a.htm

http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-4/ad1597a.htm

http://mi-si.blogzine.jp/blog/2005/05/post_9237.html

http://members.tripod.com/textbook_korea/5_2.html#5_2_4_1

2006年4月 1日 (土)

高麗

<、`∀´> 三国時代の後、新羅が朝鮮半島を統一するニダ。新羅は10Cになると崩壊し、その後高麗が朝鮮半島を統一するニダ。

<、´Д`> でも13Cになると蒙古がウリナラに攻め込んできたニダ。アイゴ~~~~!!!

高麗は蒙古との講和以後自主性を著しく損なうに至った。講和後、高麗が最初にうけた試練は日本征伐に動員されことであった。高麗は、国号を元と変えた蒙古の強要によって日本征伐のための軍隊をはじめ多くの人的・物的資源を徴発された。したがって長い戦乱で国家経済が破綻に直面していた高麗としては、苦痛をより深くなめるよになった。しかし2次にわたる高麗・元連合軍の日本遠征は、台風によってすべて失敗に帰した。

<;´Д`> 日本征伐は蒙古に強要されてしょうがなくやったニダ。ウリナラは決してチョッパリのような侵略戦争などしないニダ。

(-□-□ とは言え、こんな資料もありますが…↓

http://toron.pepper.jp/jp/middle/genkou2.html

<#`Д´>/ 捏造ニダ!!日帝の罠ニダ!!

高麗はまた領土の一部を奪われた。つまり、元は高宗末年に和川に双城総管府を設置して、鉄嶺以北の土地を直属領に編入し、慈悲嶺以北の土地をわがものとして西京に東寧府をおいた。また、三別抄の抗戦を鎮圧した後、済州島に耽羅総管府を設置し、牧場を経営した。その後、東寧府と耽羅総管府は忠烈王のときに再び取り戻したが、双城総管府は恭愍王の時代に武力で回復するまで蒙古の支配下にあった。

゜Д゜) ち…直属領!

一方、高麗は
元の強要によって官制も変えなければならなかった3省の格を下げて金議府に一本化し、6府を4司に統合した。また元は日本征伐のために開京に設置した征東行省を、その後も持続させて連絡機関にした。この他にも監察機関である巡馬所を配置して内政に干渉した。

( ゜Д゜) 勝手に行政改革!

高麗に対する元の干渉は経済的収奪にも現れた。元がいろいろな口実で金、銀、布をはじめ人参、薬剤、石臼などの特産物を取り込んでいったために、農民たちは多大な苦痛をなめることになった。

しかし高麗と元の関係が拡大され、文化と風俗の交流も頻繁であった。高麗では
蒙古語を使用し、蒙古式衣服と頭髪が流行し、この他にも蒙古式名前をもった人まで現れて、高麗社会の本来の姿が変質したりした。一方、高麗の文化が蒙古に紹介されて、高麗風俗が蒙古社会で流行したりした。

( ´;Д;`)  ひ…ひどい!!名前や朝鮮語までも!

このように蒙古の干渉で高麗は、各分野で多くの損失をうけたが、
主権国家としての地位は固く守られていった

( ゜Д゜)  えーーーーーーー????な…なんで????明らかに属国じゃん!

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